藤前干潟におけるアナジャコ類に対する貧酸素水塊の影響 アナジャコUpogebia major,Upogebia yokoyai ニホンスナモグリCallianassa japonicaの巣穴分布調査 1999年5月〜11月 藤前干潟を守る会 1.はじめに  長い間の念願がかなって、藤前干潟のゴミ埋立が断念された。追われ続けてきた渡り鳥と、私たち自身に大きな希望をもたらしてくれたことを喜びたい。  しかしあらためて藤前干潟から視野を広げて伊勢湾全体をみなおすとき、過去の開発によって傷つけられ、今なお癒されることのない無残な姿が見えてくる。  最近海の博物館がまとめられた「伊勢湾の環境」(CD-ROM版)では、驚くばかりの漁獲量の激減や貧酸素水塊の拡大で死に瀕した伊勢湾の実態を示すデータが並んでいる。そればかりか、中部新空港などのあらたな浅海域の埋立や、海上の森での万博構想など水源の森を破壊するプランも目白押しである。  実は私たちも、1997年から続けているアナジャコ調査を通じて、藤前干潟でも、例年、夏の終わりに貧酸素水塊の直撃を受け、アナジャコやゴカイなどに大きなダメージを与えていることを知った。その原因は伊勢湾の汚染も関係するだろうが、直接的には藤前干潟の中央部にある、幅180m、長さ400m、深さ5mの大きな深みにあると推測されるのである。この深みは、1953年の伊勢湾台風後の堤防復旧のために土砂を採取した跡といわれ、断念されたゴミ埋立計画の環境アセスメント評価書にも、この深みで貧酸素水塊の発生が見られることが指摘されている。  私たちは、いまだ明らかでないアナジャコのライフサイクルを調査する過程で、1998年と1999年の秋口の、いずれも台風の接近直後に、貧酸素水塊の直撃を受けたと思われるアナジャコの大量死に遭遇し、継続調査に大きな撹乱を受けた。干潟の生態系のはたらきを、明らかにするために調査しているのだが、その前に生態系に大きなダメージを与える貧酸素水塊への対策を急ぐ必要があると、教えられたのである。まずは、これまでの調査データをまとめ、貧酸素水塊がどんな悪影響を与えているかを明らかにしたい。そしてこの深みが、浚渫による大きな傷跡であり、一刻も早く修復させる必要があることを知ってもらいたい。  今、世界の沿岸環境と湿地保全の流れは、「保全」から「復原」である。  1999年9月の藤前フォーラムで現地を訪れたアメリカの魚類野生生物局のピーター・ベイ氏も、藤前干潟が残されたことを大いに評価しながら、過去の開発で失われている本来の自然環境を取り戻してゆくための示唆を、いくつかくださった。  この調査結果を活かして、藤前干潟の修復をはかることをその第一歩にしたいと思う。 藤前干潟を守る会代表 辻 淳夫 2. 調査目的  藤前干潟を守る会では1997年6月から12月まで藤前干潟、日光川河口、庄内川・新川河口におけるアナジャコ類(アナジャコ:Upogebia major, ニホンスナモグリ:Callianassa japonica)の巣穴分布を調べ、その結果を「藤前干潟におけるアナジャコ類調査」として報告した。この調査でアナジャコ類のうちアナジャコの巣穴が藤前干潟西部分で非常に高密度で分布していることがわかった。  また、その後の継続調査により、藤前干潟には、アナジャコ(Upogebia major)の他に、近縁のヨコヤアナジャコ((Upogebia yokoyai):名古屋市の環境アセスメント準備書等には未記載種)が、干潟中央部に多く棲息していることが確認された。  アナジャコはゴカイ、イトゴカイ類とともに藤前干潟における主要な底生生物であり、シギ、チドリなどの渡り鳥の餌でもあるが、その浄化能力は極めて高く、自身の濾過食による干潟上の水の浄化、及び、水の循環と造巣行動による底泥下部への酸素供給の面において多大な貢献をしている。  しかし、翌1998年と、翌々年1999年の8月末から9月初めにかけて、藤前干潟に生息していた底生生物が激減、特に干潟西側部分の底生生物はほとんど壊滅状態となってしまった。  本報告では、このような底生生物量の激変がその年だけのものであったのか、あるいは夏期には往々にして起こる現象であるのかを、特にアナジャコ類の個体数の変化に焦点を当て、個体数を激減させた原因や、それが起こった時期を考察しようと試みたものである。この現象がアナジャコ類にどれほどの影響を与えるのか、一方いったん減ってしまったアナジャコ類がどの程度回復するのか等の問題を確かめるため、藤前干潟内のアナジャコ類の巣穴数を1999年5月から11月まで6箇所の調査地点で調べた結果を報告する。 3. 調査地点・方法 ◎ 調査地点  アナジャコ類巣穴数調査ははD300、E150、E300、F150、F300、G300の6地点で行った。また、それぞれの地点では2カ所ずつ調査を行った。  調査地点位置は藤前干潟の西部をD地点、新川沿いの東部をG地点とし、その間をほぼ等間隔にとりE地点、F地点とした。  D300、E300、F300、G300は護岸から約300E、E150、F150は護岸から約150Eの場所を示している。   各調査地点を下図に示す。 ◎ 調査日時 ◎ 調査方法 各調査地点内で任意の場所を選び、1平方mの方形枠中のアナジャコおよびスナモグリと思われる巣穴の数を数えた。 ※スナモグリは巣穴を掘りながら泥の中の有機物を摂取する。その際に、残りの泥を巣穴の出口に排出するため、スナモグリの巣穴の周りにはマウンド(土の盛り上がり)が形成されていることが多いが、棲んでいる環境によってマウンドの無い場合もあり、必ずしもマウンドの有無で判定できるとは限らない。そのため、アナジャコとスナモグリの巣穴は穴の表面上の形態からは区別がつきにくく、今回の調査ではアナジャコとスナモグリの巣穴の数を合計し、アナジャコ類の巣穴の数とした。 ※使用されていない巣穴は、潮流や波浪などで短時間に開口部が塞がるため、確認できる巣穴は使用されているものと考えられる。ただし、開口している巣穴でも、右下写真のようなものは、使用されていないものである。これは、ふ化後2年目以降の個体が、繁殖活動で巣穴から出て、放棄されたものであり、その際開口部はかなり大きくなり穴が塞がりにくくなる。藤前干潟においては、繁殖時期の違いにより、夏期にはヨコヤアナジャコ、冬期にはアナジャコの抜けた巣穴が多く見られる。  このような巣穴と使用されている巣穴を区別するため、表面の開口部を見るだけではなく、巣穴の内部が詰まっていないかどうかも確認した。  なお、アナジャコ類は通常Y字型の巣穴をつくることが知られており、1個体が形成する巣穴は干潟表面に2つの開口を持つ。したがって、巣穴の数の2分の1が個体数に相当する。  また、各調査地点でアナジャコの捕獲と、泥の状況の確認のため、コア・サンプラーによる調査も併せて行った。  アナジャコの巣穴は、自身が水を循環させることにより、潟土中の鉄分が酸化し、強固な壁ができており簡単には崩れないが、アナジャコが抜けた後は酸化層の破壊された開口部から崩れ、場合によっては干潟表面に直径数十cmのすり鉢状の凹みや、凹みの中にパイプ状に巣穴が立ち上がった状態が見られる。 4. 調査結果 ◎ 結果と考察 1. 個体数調査によって把握できる個体数の変化  アナジャコ類の個体数調査を行う上での問題点の一つに、個体そのものを捕獲することが極めて難しい、ということがある。  アナジャコ類に限らず、底生生物は、生活場所が潟土内部であるため、通常我々の目に触れにくい。したがって、藤前干潟を守る会でも、底生生物調査は潟土を25cm角で掘り出し、ふるいにかけて底生生物を拾い出すという方法をとる。  ところが、アナジャコ類の場合、新規着底個体であれば、巣穴は数cmの深さだが、着底して1年も経てば、巣穴の深さは1mを越えてしまう。このため、シャベルで数十cm掘った程度では、ある面積に生息するアナジャコ類の多くは捉えきれない。  したがって、巣穴開口数により、アナジャコの個体数を推定するのであるが、ここにもう一つの問題がある。新規着底個体の巣穴開口部は非常に小さいため、使用している巣穴であっても塞がりやすく、かつ、見つけにくいためカウントしにくい。さらに、ゴカイ、ヨコエビなど他の底生生物の巣穴との区別がつきにくい。ということもあり、新規個体の個体数の把握は非常に難しい。  前述した潟土の掘り出しによる方法ではどうかというと、潟土に着底したばかりの新規個体は、体長が5mm以下、色はほぼ透明、体表も甲殻というほどの強度がないため、ふるいにかけた段階で、潰されてしまう、又は見落とす、という量がかなりあると思われる。この結果、春期の調査は実数をかなり下回る数値になっている事が考えられる。  図4のグラフを見ると、5月より6月の方が巣穴数が増加している。これは、一般に言う生存曲線から完全に外れていることになる(生存数が時間の経過に伴って増加する事はない)が、これは、上記の、新規個体の全てが捉えきれないことに加え、新規個体の成長に伴って人目に付きやすくなること、さらに、発生の遅かったものが順次着底してくるためと思われる。  こうした条件を加味して、棲息数を推定してみたのが以下のグラフである。  データとして使用したものは、D300地点の、調査結果である。この地点は、1997年からもっとも多くのデータがとられていること、1998年8月末には底生生物の激減が見られたこと等から、この地点の数値を用いた。  また、図6には、1997年からの調査結果と、推定した生存曲線を重ねたものを示した。なお、3月の6,000という数値は、1998年3月に行なった、50C×10Bのサンプルコアから新規着底個体を拾い出した平均値から考察される着底数、  ・新規着底個体については、1Fあたり6,000個体以上が着底している可能性がある。(1998年3月調査結果より小嶌.私信)  などの情報から推定したものである。 2. 外的要因による個体数の変動  図6,は、D300地点における、アナジャコの推定個体数と、実数(調査結果)を表したものである。破線で示されたものが、前述した生存曲線である。ただし、実際には春秋の渡りのシーズンには、この推測値よりも捕食により死亡率が大きくなると思われる。  この地点(D300)での調査結果や、図3.4等の結果から考えられることは、1998年の8月末〜9月初旬にかけて、藤前干潟西部で、底生生物が激減したこと、および、1999年6月下旬、さらに同年8月末に、底生生物が激減したらしいことが、アナジャコ類の巣穴数の変化からうかがえる。このことは、調査結果だけでなく、観察会での観察の場面でも確認できるものであった。  ・1998年4月から、大型個体が捕獲される割合が減った。  ・1998年8月の個体捕獲の後に行われた、9月の観察会では、干潟西側(D300付近)では全くといってよいほどアナジャコが捕獲できなかった。  ・いつもなら、干潟を人が歩くと驚いて飛び出してくるアナジャコの新規個体があまり見られない。         ・1998年の繁殖期以降、抱卵個体が1個体も捕獲されない。(小嶌私信)  このときの底生生物の大量死により、1998年の9月から10月にかけては、干潟西側の底生生物の巣穴はほとんどが塞がり、干潟の西側一帯が一時的にヘドロ化してしまった。  幸い、この時のダメージは、ヨコエビ、ゴカイ、スナモグリ、アナジャコという順に、周辺から移動してきた生物達により少しずつ恢復に向かい、約半年後には、アナジャコの巣穴数で、80個/F程にまで増加した。我々は、突発的に起こった生物量の減少と、それに伴う被害、さらに、そこからの自然の回復力の強さに驚いたものである。  さて、1998年夏期の生物量の激減の原因は何であろうか、ということが、当時の「守る会」底生生物調査班の話題であった。確かに夏期の高温状態は、干潟の生物にとっては、厳しい条件であるし、そのために死亡する個体も無いわけではない。しかし、この年の底生生物の減少の仕方は、そうしたものとは違い、はるかに規模が大きいと言えた。  当初は、日光川水門の開放により、いわゆる「死に水」が、大量に藤前干潟に流れ込んだのではないか、あるいは、新川からの工場廃水によるものではないか、等の憶測がされたわけであるが、確認のために行なった調査では、干潟の西側、正確には、干潟の低位部分(藤前干潟は、西に向かって地盤高が低下する)が集中的に被害を受けていることがわかった。  最終的には、まえがきにもあったように、どうもこの大量死は、藤前干潟西側にある、浚渫泥を採取した跡、通称「深み」で発生している貧酸素水塊が、干潟表面に移動したために起こったのではないか、という結論に達した。  これが、「1998年は大変でした。」で済まなくなったのは、翌1999年夏期にも底生生物が激減するという事態に至ったからである。  この年は、前年のダメージから完全に回復していないところに、もう一度貧酸素水塊が上昇したため、ただでさえ減っていた個体数がさらに減少し、以後、2000年に入った現在もあまり芳しい状態ではない。  このような要因により、底生生物が減少する場合、力の弱い幼生や、卵が捕食されるのと違い、いわゆる「親」の世代までダメージを受けるため、次代への影響が非常に大きくなるのが難点である。  一般に甲殻類は、数年の寿命があり、一匹の個体が、一生の間に2度、3度と繁殖活動に参加する。これは、天候や海流などの変化によって、卵や幼生が壊滅的な打撃を受けても、成体が生き残っていれば、次の繁殖期にもう一度増殖の機会が得られるからである。しかし、貧酸素水塊のように、卵、幼生、成体の区別なくダメージを受けた場合は、その世代だけでなく、次代にまで影響が及ぶ。場合によっては、個体数が回復不可能な状態にまで追い込まれる可能性がある。  底生生物の激減は、単にその生物種の生物量の問題では済まない。摂食量の減少による浄化能力の低下や、生物の死亡により、巣穴による干潟深部への酸素の供給が不足すれば、潟土内部は還元的(嫌気的)な環境となり、分解者(特に好気性細菌)の有機物分解速度や棲息場所が減少する。結果として流入する有機物が分解されずに残り、ヘドロ化が進むことになる。  このように、一度バランスが崩れると、環境の悪化は加速度的に進むことになる。こうして次代の底生生物は、より棲息、繁殖に不利な状態を余儀なくされてゆくのである。 3. 環境保全に向けての提言  現在の藤前干潟は、生態系としてみた場合、非常に奇妙なバランスの上に成り立っているように思われる。  全くの自然干潟の場合、そこに流れこむ河川があり、潟土と有機物の供給が行われる。河口部にはアシ原があり、河口の汽水域から干潟、浅海域へと、緩やかな傾斜が続く。  この、緩やかに変化してゆく一続きの環境が、本来の姿であるが、藤前干潟の場合、いわば「干潟」の部分だけを切り出したような環境が「突如」出現する。  藤前干潟の東側を流れる「新川」は、元はと言えば治水目的のために掘られた人工の川であり、上流は自然の川であるが、下流は完全に人工のものである。河口部にもアシ原はそれほど発達しておらず、本来そこで浄化されるはずの有機物は、藤前干潟に流入しているのであろう。西側はと言うと、流れがほとんど無いに等しい「日光川」であり、水門によって、過剰な水がオーバーフローされる程度の「川」である。  この2つの川に挟まれた藤前干潟は、通常の渚のように「海に向かって緩やかに傾斜する」のではなく、「土砂を運んでくる新川から流れのほとんど無い日光川に向かって緩やかに傾斜する」という、不思議な地盤高の変化をする。さらに、陸との境には「海岸」を持たない。伊勢湾台風後に強化されたという堤防から、いきなり干潟が生えるのである。堤防の捨石のある部分は、まるで波の静かな「磯」であり、結果、堤防の直下は、干満に合わせて水の動く澪になっている。  さらに、干潟の南端はというと、新川と日光川の流路が合流するため、流路と船舶の航路を確保するため、定期的に浚渫される。「緩やかに浅海域へと変化する。」という環境は望むべくもない。藤前干潟は全体として南端の尖った五角形になり、そして、これ以上南側への干潟の発達は無い。  名古屋市の行なった環境アセス(正確にはそれに付随して突如出てきた「干潟の整備計画」)によると、新川上流の護岸整備に伴い、土砂の供給が減少しているため、藤前干潟は、徐々に「やせている」とのことである。しかし、考えようによっては、この事が藤前干潟を絶妙のバランスの上に保たせているといえる。  新川が、現在以上の土砂を供給し始めたら、藤前干潟は、現在の干潟部分だけがかさ上げされる結果になりかねない。そうでなくとも、干潟東端は、新川の運んでくる砂泥によって、砂質化が進んでいるのである。  さらに、少なくとも、東西南の各側は、河川又は航路ということで一定の深さを保たなければならない。勢い、「干潟」部分と、河川・航路部分の水深差が現在より大きくなり、下手をすれば五角形の台地状の土地ができ上がり、干潟では無くなりかねない。このような地形は、新川の東側の庄内川河口部に見られる。 このように考えてくると、藤前干潟が、いかに特殊な環境にあるかがわかってきて、改めて考えさせられてしまう。面積的にも100ha程の小さな場所が、よくも「日本有数の渡り鳥の中継地」であり得るものである。それ程に、他の場所が無くなってしまったのか、あるいは、前述したように、藤前干潟が極めて微妙なバランスの上に「日本有数の渡り鳥の中継地」であり得るのか、である。私自身は、後者の見解をとりたいが。  こうして考えた場合、保全が決定したとはいえ、藤前干潟周辺の状況は、予断を許さない。少なくとも、我々が確認しただけでもここ2年間、夏期に起こっている、底生生物の激減を食い止めなければ、環境の悪化は加速度的に進むであろうし、場合によっては渡り鳥の中継地としての機能(食糧補給地)を失ってしまう。  実際のところ、我々の調査も、アナジャコのライフサイクルすら、確実に捉えておらず「この2年の底生生物の激減が貧酸素水塊の上昇によるものである。」と結論づけることは、私個人としてはやや二の足を踏む部分があるのも事実である。しかし、到らないなりにも継続している調査に現れた結果と、名古屋市の環境アセスにおいても貧酸素水塊の発生が確認されている事、かつての東京湾が、「浚渫による深場の大量造成」で、ヘドロの海と化した事例等を考え合わせると、いわば状況証拠として、藤前干潟西側の「深み」は、底生生物の大量死の元凶といえる。  ここが自然の干潟であれば、仮に貧酸素水塊が数回発生し、底生生物が激減したとしても、おそらくすさまじい回復力を示して、立ち直ってくるであろう。しかし、藤前干潟の場合、状況がかなり特殊で、いわばガラス細工のような、箱庭のような「干潟」である。したがって、最低限、かつて破壊した部分、バランスを崩す原因となり得る部分については修復する必要がある。  ただし、断っておくが、これは、名古屋市が出した「干潟の整備計画」のように、「土木工事的発想に基づく、環境破壊事業」を奨励するものではない。  負傷、疾病と医療技術に例えるならば、これまでの日本は、開発の美名の下に環境に対して、過大な負荷を与え、いわば自傷行為を繰り返してきたといえる。  「この怪我を治して欲しい。」  というのが現在の要求である。具体的には、  「藤前干潟西側の「深み」を、周囲の地盤高に合わせた水準まで埋める。」  ということである。この際にも、巨大な重機や、サンドポンプによる激しい、一気呵成な「埋立」ではなく、時間をかけ、変化を最小限に押さえた工法によるものでなければならない。  自然の治癒能力をこえた負傷、疾病の治療には、場合によっては毒劇物や、荒療治が必要であるかもしれないが、だからといって、治療部位以外の健全な部位を切り刻むような愚行は厳に慎まなければならない。  そうして、負傷した部分の治療をすると同時に、  「怪我をしない、病気にならない身体。」  を創らねばならない。具体的には、  「新川から流入する汚濁負荷を減少させる。」  ということであり、あるいは、  「藤前干潟北側の堤防斜面に徐々に覆土を行って緩斜面とし、自然環境に近づける。」  ということである。 ◎ おわりに  「藤前干潟を守る会」は、ここ数年、藤前干潟における主要な底生生物であるアナジャコ類に焦点を当て、底生生物調査を続けてきたが、この2年(1998、1999年)は、夏期(8月末〜9月初めにかけて)に、底生生物量が激減するという現象が続けて起こっている。  本報告は、特にアナジャコ類の個体数の変化に焦点を当て、底生生物量を激減させた原因や、それが起こった時期を考察しようと試みたものである。さらに、藤前干潟の環境保全のありかたについて、いくつかの提案をするものである。  本文中にも書いたことではあるが、「調査をしている」という我々にしたところで、干潟についてはほとんど知ってはいない、と言っても過言ではない状況である。  藤前干潟は、寸前のところで(極めて象徴的ではあるが)「ゴミ処分場」となるところを免れ、保全されることとなった。だが、「保全」とは、フェンスで囲み、ヒトの手の届かぬところに隔離することではない。「里山」「干潟」とは、ヒトと環境の間に、やり取りがあってバランスを保っている生態系であること、そして一旦バランスを崩してしまえば、その修復、恢復にはバランスを崩した時以上のエネルギーが要求され、そして多くの場合、元に戻ることはない。  本報告が、藤前干潟の環境を本来の自然環境に近づける一助になれば幸いである。 藤前干潟アナジャコ類調査 1999年5月〜11月 調査員 1999年5月3日 坂野一博・坂野光子・鈴木晃子・小嶌健仁・辻淳夫 1999年6月17日 坂野光子・鈴木晃子・小嶌健仁・辻淳夫 1999年7月11日 坂野一博・坂野光子・平井清治・伊藤鉄也・森 由紀・鈴木晃子・小嶌健仁・辻淳夫 1999年8月28日 坂野光子・鈴木晃子 1999年9月9日 坂野一博・坂野光子・平井清治・伊藤鉄也・佐野すま子・酒向宏美・鈴木晃子・小嶌健仁・辻淳夫 1999年11月25日 加藤倫教・川口航・平井清治・伊藤鉄也・山谷和大・鈴木晃子・小嶌健仁・辻淳夫 報告書編集 鈴木晃子・小嶌健仁・辻淳夫