人工干潟報告書-1 広島五日市(テキスト) 広島五日市、東京湾葛西、大阪湾南港における「人工干潟」実態調査をまとめるにあたって  6月に五日市と葛西の調査結果をまとめた中間報告を出してから、大阪南港についても調査し、さらに三箇所の泥質の違いを補足調査したりして、そのまとめに意外に手間取ってしまった。  その間、名古屋市は「自然環境保全措置検討委員会」で検討中の案として、『干潟の整備計画』を添付して公有水面埋立免許申請の手続きに入り、さらにその効果を確認するためとして、藤前干潟の南端に『試験施行』をする案を上記委員会に提示しているという。  折しも、12月5-6日に名古屋で開かれた「国際湿地シンポジウム'98藤前」では、藤前を中心にアセスメントやミチゲーションのあり方が議論され、その保全がつよく求められた。 そこでの発言を契機に環境庁が「人工干潟」による代償の考えを否定して代替策の検討を求める公式見解を表明し、運輸省も認可の可否判断に環境庁長官意見の重要性を表明するなど、これまでになくまっとうな判断が示されて、藤前をめぐる状況は大きく動いた。  超党派の国会議員による、具体的な代替策を求める動きも広がり、深められている。  こうした中で、名古屋市は規定方針を続ける意向を示し、近く検討委員会の再開を予定しているが、環境庁は「いま生きている干潟を、試験といえど破壊することは許されない」と『干潟の整備計画』とその『試験施行』に強い懸念を示しており、我々も同じ思いである。  自然の精妙さと複雑さ、そしてそれゆえの脆さから、人為の影響は考え得る限り慎重に避けなければならならない。その判断に資する貴重な社会的体験が、上記の3例にあるわけで、そこからの教訓と示唆を共有したいというのが、これをまとめる所以である。  このつたない報告が活かされて、藤前干潟を始めとして日本のすべての残された干潟をこれ以上壊すことなく、失われた環境が復元されてゆくことを、心から願っている。 「人工干潟」実態調査委員会を代表して、  辻 淳夫 1. はじめに  昨年4月の諫早湾締め切り『ギロチン』の衝撃はいまも生々しいが、つづいて行われようとしている、全国一の渡り鳥渡来地・藤前干潟のゴミ埋立計画も、衝撃的な破壊計画として、保全を求める声が内外に高まっている。  藤前干潟のゴミ埋立計画は、現在、事業者(名古屋市と名古屋港管理組合)が進める環境アセスメントの大詰め(知事意見のための愛知県環境影響評価審査会議が審査中)にあるが、その前段で、名古屋市環境影響評価審査委員会は「準備書」の『影響は小さい』とする評価をくつがえし、『環境への影響は明らか』とする答申を出した。  これは、これまでの公共事業では例のない画期的な答申(この点に限って)であり、事業者の調査と評価を「恣意的、欺瞞的」なものと、自らのデータをもって批判してきた市民サイドの意見を、審査委員会も認めざるを得なかったからだ。  しかし、答申は狡猾にも、「影響が明らか」なら当然取るべき影響回避の措置=代替策の検討を求めず、「実施するなら以下の自然環境保全措置を取るように」と、『人工干潟などの代償措置』の検討を示唆している。  名古屋市は、答申と同内容の「市長審査書」をもって、『計画は容認された』として、市民サイドから強く要望されている代替策の検討はせず、あくまでゴミ埋立計画の実施を前提に、「人工干潟検討委員会」なるものを立ち上げようとしているが、その性格は全国に成功例なしといわれる「人工干潟」の実現可能性を検討するものではなく、その造成を前提に位置や規模、工法などの検討をするものになりそうである。  干潟を実際に体験しているものなら、干潟を「人工」で造れるとは考えもしないが、単なる言葉のイメージが独り歩きして、まかり通ろうとしている。この状況を座視すれば、影響は藤前干潟にとどまらず、全国に及ぶに違いない。その意味で、いま事業者サイドが成功例として挙げる「人工干潟」なるものの実態を、NGOサイドとして把握することが緊急に必要であろう。  そこで、湿地NGO、生態系研究者などで「検討委員会」を立ち上げながら、東京湾葛西、広島港五日市、大阪南港などの「人工干潟」の実態調査を行うことになった。  ここでは、まず初めに取り上げた、広島港五日市の実態調査の結果を報告する。 「人工干潟」実態調査委員会 辻 淳夫 2. 調査目的  人工干潟の実態を把握するために、広島港五日市人工干潟において底生生物調査を行った。五日市人工干潟は、八幡川河口干潟が埋立事業により消滅する代償措置として昭和62年度から平成2年度にかけて造成されたものである(延長 約1km・巾 約250m・面積 約24ha)。本調査においては、干潟の「豊かさ」の指標となる底生生物に焦点を絞り、五日市人工干潟の現況を調べた。  当該干潟についての生物調査の報告(今村均,「人工干潟の造成による環境保全対策」1994)によれば、造成1年後から2年後には干潟低部でアサリ、ゴカイなどのベントスの量が非常に増加している。しかし、このデータは造成2年後までのものしかなく、その後の同様な調査結果は公開されていない。今回の調査ではその後の五日市人工干潟の生物相、および現存量がどのように変化したかを知ることも重要な目的であり、そのために調査地点は今村氏の調査とできる限り同じ地点を選び、過去のデータとの比較を行った。 3. 調査方法 ◎ 調査地点  底生生物の定量採集は下図に示すようにA,B,Cの3地点で行った。B地点、C地点は前述の今村報告の干潟低部の調査地点とほぼ同一の場所である。また、A地点はBおよびC地点の中間地点で、かつ、当初の人工干潟のちょうど真ん中にあたっている。各地点とも数メートル間隔で3カ所ずつ、計9カ所で採集を行った。  干潟高部および中部に関しては調査結果の項でも述べるが、B地点、C地点の高部で試掘を行った結果、砂(礫)の粒子が粗く2@メッシュを通らなかった。また、干潟生物も見られなかったため、生物現存量のデータには加えないこととした。 ◎ 調査日時 1998年5月26日 13:00〜19:00 干潮 16:01(潮位 -12B) ◎ 調査方法  それぞれの調査地点内で任意の場所に一辺が25cmのコードラードを設定し、スコップで30cmの深さまで素早く掘り、2mmメッシュ※の篩で少しずつ砂泥をふるい落とし、すべての生物を拾い出した。  採集した生物は、10%ホルマリンで固定し個体数および湿重量を測定した。  ※掘り出した砂泥は1mmメッシュで落ちなかったため、2mmメッシュを用いた。 4. 調査結果 ◎ 干潟概況  造成時の当該人工干潟は、底部に埋め立て地から出た浚渫土を5m近く入れ、その上は約1mの海砂(シルト・粘土分約5%)で覆われていた。当初は次頁の干潟断面図の破線で示すように、護岸から潜堤に向かって緩やかな勾配で傾斜していた。  しかし、7年経過した現在では護岸から30mほどの間で、かなり傾斜がきつくなっている(写真1)。干潟高部から中部にかけて波浪により相当量の砂が流出し、逆に護岸付近ではうち寄せられた砂が堆積したと推察される。  この傾斜のきつい干潟高部、中部で試掘を数カ所行ったところ、砂の粒子が粗く、粒径2mm以上の礫が大半を占めていた(写真2)。これらの場所では干潟生物は見られず、わずかにヒメスナホリムシが観察されたのみであった。当初表層を覆っていた海砂の粘土・シルトなどの粒径の小さなものは沖へ運ばれ、粒径の大きな礫が残ったと思われるが、このような、有機物が留まりにくい環境下では、干潟生物の生息は困難である。  さらに、干潟の南部分は台風などで砂が流出し、かなりの面積にわたり干潟が消失している。このため、調査地点Cは干出している部分の南端に近くなっている。また、干潟全体が沈下、砂の流出により著しく面積を減じている。  調査地点B,Cの潟土質はほぼ等しく、粒径2mm以上の礫と粗砂、細砂の混じったものであったが、C地点の方が礫の割合が多かった。  A地点は、2年前に山砂(1万1千トン)が入れられた部分で、干潮時には次頁の干潟平面図に示すように長く沖方向に突き出すような形となっている。この山砂は牡蠣殻、礫、砂、シルト、粘土などさまざまな大きさの粒子が混じり合っており、干潟の他の部分とは異なった様相を呈している。また、A地点では50cm以深は黒い還元性土壌であることが、コア・サンプラーでの採集によって確認された。 ◎ 底生生物現存量調査  結果A,B,C各地点で一辺25cm、深さ30cmの潟土中から採集された底生生物の湿重量を測定し、現存量を求めた。以下にその結果を示す。  各調査地点における出現生物の湿重量   (単位:g/F)  前頁の表とグラフ、上の表に示すように、各調査地点とも出現した生物の種類は限られており、C地点のイトゴカイを除いては個体数も少なかった。C地点で現存量が他の地点に比べて大きくなっているが、これはアサリの湿重量が大きいためである。  B地点ではアナジャコの新規着底個体が多く見られた。その年に着底したアナジャコの巣穴は浅いため、深さ30cmの調査で捕らえることができたが、深く巣穴を掘る2年目以降の成体についてはこの方法で採集することは困難である。30cm以深のコア・サンプラーによるアナジャコ調査に関しては次項で述べる。  山砂が入れられたA地点では粒径の小さなシルト、粘土が礫、砂の間に存在している。現存量の数値には表れてこないが、干潟表面にはアナジャコの巣穴が多く見られ、30cm以深での成体アナジャコの存在を示唆している。また、表層にはカニ、ヤドカリなども見られ、他の調査地点に比べ出現した生物種類数は多い。  さらに、A,B,Cの各地点とも、半径5mの範囲内であっても一様な環境ではなく、生物量にかなりのばらつきが出る結果となった。  いずれの地点でも現存量の大半はアサリで占められており、決して多様性に富んだ干潟であるとは言えない。ここで見られたような礫の多い潟土質では、泥質を好むゴカイなどの底生生物が生息し辛く、粒子の小さい砂が流出するようなことが続けば、ますますその傾向は強まり生物相が貧しくなると予想される。 ◎ 底生生物現存量の推移  以上述べてきた底生生物現存量が、人工干潟造成後どのように変化したのかを調べるため、今村報告のデータと合わせ、下のグラフに表した。1991年2月より1992年12月までが今村報告の干潟低部の出現生物の湿重量データであり、1998年5月が本調査のデータである。A地点は造成の後に山砂を入れた場所であるため、この地点のデータは除外した。  上のグラフに示すように造成直後(1991年2月)から造成1年後にかけて現存量が非常に大きくなっている。その後は減少傾向にあるが、特に造成後7年経った現在の現存量は造成直後の5分の1以下、もっとも生物の多かった92年6月の10分の1となっており、この五日市人工干潟の底生生物が極めて少なくなったことを示している。  今村報告によれば、1992年6月の調査では干潟低部における生物湿重量の90%がアサリであったが、個体数はゴカイが多く、生物相は河口干潟を上回っていたということである。造成7ヶ月後の粒度組成が礫分20%、砂分76%、シルト・粘土分4%であることから、92年6月の時点での干潟の粒度組成はおそらくこれに近いものであったと推察され、干潟底生生物の生息環境としては良好であったと思われる。しかしその後、前述のように粒径の小さな粘土・シルト、細砂が流出し、潟土には礫ばかりが残るようになり、底生生物が摂取する有機物が留まりにくく、巣穴を形成することも困難となる。この底生生物現存量の著しい低下は、もはやこの場所が干潟生物にとって住み易い環境ではなくなったことを意味している。  干潟は自然状態であれば、陸から砂・泥などが干潟がやせない程度に供給され、河川から流入した有機物も膨大な数量の干潟生物が取り込み、利用することで生態系のバランスが保たれているのであるが、人工的に砂を入れて造った干潟では、まず第一に物理的に砂の流出・沈下を防ぎ、干潟がやせないように維持することは非常に難しく、その上で干潟生物を自然状態に近く生育させることはさらに困難であることは、想像に難くない。上に述べたような底生生物の減少は予想されたことであり、人工干潟の限界をあらためて知らされる結果となった。 ◎ アナジャコ調査結果 1.調査目的  前述した底生生物調査は、25cm×25cm×30cmのコードラード法である為、30cm以深の生物については把握できない。そこで、上記の調査と並行して、藤前干潟で行っている底生生物調査と同一の方法で、深部の底生生物(特にアナジャコ類)について調査を行い、個体数・土質・採集深度等の面から考察を加え、藤前干潟との比較を行なう。 2.調査方法 ◎調査日時 1998年5月26日 13:00〜19:00 干潮 16:01(潮位 -12cm) ◎調査地点  前述の調査地点とほぼ同じであるが、A、B、C各地点とも、干潟高・中部で採集されたのはヒメスナホリムシ数個体のみであるため、生物量については干潟低部のもののみを示した。 ◎調査方法  長さ1.4m、直径83mmのコア・サンプラー(断面積50C)を干潟泥中に打ち込み、底生生物の採集及び、干潟泥土の観察記録を行った。アナジャコ類の個体数については、干潟表面に開口している巣穴をカウントし、1平方mあたりの個体数を計算した。 3.調査結果 (1)概況  前述のように、7年前に造成された後、圧密沈下、波浪による覆土の流出により、干潟の傾斜と、泥土の粒度組成に変化が大きいと思われる。 (2)造成地の傾斜及び泥土の粒度組成について 人工干潟造成当時は護岸から潜堤に向かって緩やかに傾斜していた。  造成地に投入された覆土は厚さ約1m、成分としては、シルト・粘土分5%の海砂であった。  現在では、風波による覆土の流出、及び打ち上げにより以下の状況になっている。  @部(大潮平均高潮面以上)では、細砂・シルトの堆積による地盤高の上昇。  A部では細砂・シルト分の流出により、礫粒度組成における礫分の増加と、波の打ち上げによる傾斜の増加。また、これに伴い保水力の低下及び有機物堆積量の減少が起こっている。  B部は潮干帯下部にあたり、1日の大部分の時間は波浪の影響を受けにくいためか、シルト・粘土分の減少がみられるものの、細砂の流出はあまりみられなかった。しかし、地盤高の低下がみられ、A、B部の境界部分は傾斜の変化が急である。 (3)各地点における生物量及び土質と考察 A地点  この地点は、干潟の沈下・海砂の流出への対策として山砂を補充した部分であり、投入後2年を経過している。カキ殻の処理も兼ねて、カキ殻と山砂を混ぜて投入したとのことである。  粒度組成については、粘土から礫、カキ殻まで様々で、後述するが、粘土・シルト分がまだ残っているため、比較的大きな個体が生息できるものと思われる。  粒度組成については、B、Cの2地点では、造成後2〜3年で、粘土・シルト分の流出をみており、その意味で、A地点でも、今後の粒度組成の変化と、それに伴うアナジャコの生息数、個体の大きさ等の変化を調査する必要がある。  採集されたアナジャコは、頭胸甲長から考えると3年目に入った個体までで、それ以上のものは採集されなかった。これは、上記のように、山砂が投入されてから2年しか経っておらず、砂の投入後着底した個体のみが生息しているためと思われる。  個体数については、成体144個体/平方m、新規着底個体(本年孵化し、着底したもの)64個体/平方mと、成体の個体数の方が幼体のものより多い。これは、山砂の粒度が一定しておらず、特に、大径の礫が含まれると、新規着底個体の力では巣穴を掘ることができない為だと考えられる。  次に、アナジャコ類の巣穴を、藤前干潟のものと比較してみる。  藤前干潟においては、A地点で採集されたものと同程度の個体(頭胸甲長25mm程度)であれば、その巣穴は干潟表面から1m以上掘り下げられている。当地区のアナジャコの巣穴は、そのほとんどが50〜55cmどまりであり、前述のように、多いところでは100個体/平方m以上の密度を示す。そこに、粒状組成も手伝ってか50cm程の深さまでは、酸素の供給された状態の砂(色としてはp.15に示した写真とほぼ同じ)であり、50cm以深は、還元状態の鉄を含む黒色を呈する砂となっている。 B地点  山砂による低い突堤と、潜堤に囲まれた形の比較的波の静かな地点である。泥土の粒度組成に、粘土・シルトをほとんど含まないため、径の大きい巣穴は崩れてしまうと思われる。そのためか、B地点では、比較的小型のアナジャコまでしか採集されなかった。  B地点では、約1mまでの打ち込みが可能であったが、50cm以深からは同じアナジャコ下目のニホンスナモグリが採集された。A地点でこの種がみられなかったのは、粒度組成と、採集場所にアナジャコが高密度に生息していたため、生息していないか、又は、極めて少ないかであると思われる。逆にB地点では、やや砂地であり、アナジャコの密度が少ないため、スナモグリの割合が多いものと思われる。巣穴カウントでは、336個/平方mであるが、うち確実にアナジャコ成体とわかるものは48個であり、Y字型の巣穴であるとすれば、成体の個体数はこの1/2の24個体/平方mとなる。残り288個のうち、採集結果より、スナモグリと、アナジャコ成体がほぼ同数いると仮定すると、スナモグリの巣穴開口部は1個体当たり1個であるので、残り264個の1/2が新規着底個体のものと考えられる。  即ち、アナジャコ成体24個体、スナモグリ成体24個体、アナジャコ新規着底個体132個体の計180個体/平方mということになる。 C地点  台風等により覆土が流失した部分に近く、粒度組成は粘土・シルトが少なく、礫分が50%近くを占めるため、アナジャコ類の生息には不適だと思われた。アナジャコは採集されず、わずかにミナミテッポウエビが1個体採集された。  また、礫分が多く、粒子の間隙が大きいため、泥土は約80cmまで酸素の供給された状態の色を呈していた。  以下に、アナジャコの巣穴と土壌成分との関係を述べる。  当地区のアナジャコの巣壁には、表面から数mmの厚さに酸化鉄を含んだ粘土粒子がみられる。粘土粒子が砂粒を固め、アナジャコの起こす水流により、新鮮水が泥中に含まれる還元状態の鉄を酸化し、酸化鉄を含んだ強固な巣壁を作っているのである。A地点においては、大径の礫も含まれるが、粘土粒子もある程度含まれている。したがって、大型のアナジャコであれば生息可能だと思われる。ところが、B、C地点には粘土粒子がほとんど含まれていないため、ある程度以上の径の巣穴は崩れてしまうと思われる。3年目に入ったアナジャコの巣穴を支えられるだけの強度が得られないのである。事実、B、C地点では、コア・サンプラーを引き抜くと、試料のコアが崩れてしまうことが多い。  藤前干潟においては、干潟東端は砂質であるが、西側ほど地盤高も下がり、シルト・粘土の割合も増える。また、アナジャコの生息数も西側の方が多い。このような粘土〜泥質土壌が、アナジャコ類の生息には適しており、逆に、アサリなどの生息環境にはやや不向きである。  これに対して五日市の人工干潟は、造成当時に比べると、シルト・粘土粒子の流出が著しく砂が主体の土壌になっており、二枚貝(特にアサリ)の生息に適した環境であると言える。  このため、事業前には優占種が、コメツキガニ・アナジャコであった八幡川河口干潟に対して、造成後の干潟の優占種はアサリ・ゴカイとなったものと考えられる。 5.まとめ  広島県五日市における人工干潟造成は、工事完了後7年を経過するものの、現在でも干潟面の傾斜の変化、泥土の粒度組成の変化が続いており、生物量も、年により増減があるものの、全体としては減少傾向に変化しているように見受けられる。まだまだ生態系として安定しているとは言いがたい状況である。これは、「アサリがよく採れる場所が毎年変わっている。」というような、地元の人達の話からも伺うことができる。  ある意味では、いわゆる「おかず漁」で頻繁にこの場に出入りする人達の方が、たまにやってきて、ごく一部を調べる者よりもはるかに正確に生物の変化を捉えているからである。  したがって、現時点では「成功」「失敗」といった結論を出すには時期尚早である。当地区においては、造成工事前に広島県からの依頼で日本鳥類保護連盟が調査を行い、「人工干潟造成について指針となる事項」を提示している。また、工事完了後も追跡調査が継続されており、今回の調査を行うにあたっても1994年の今村氏の調査報告書は、きわめて貴重な情報を我々に提供してくれた。当地区では、人工的に造られた環境における生態系の変化を捉える上で、貴重なデータがとられているのである。  事前の調査や、その結果を(ある程度)反映した事業及び事業後のケア(流出した泥土の補充の為の予算を組み、干潟の維持に努力している事等)といった観点から、即ち、行政とNGOの協力ができている点で「広島県五日市地区の人工干潟造成工事」は「成功例」なのであり、工事完了後2.3年という時期に行われた調査結果のみをもって「人工干潟の成功例」とすることは実に不遜な態度であり、かつその調査を行った者に対して失礼な行為である。  極端な話ではあるが、今後、生物量が増加し続け、現在の数倍、という状況になったとしたら、現時点だけでの評価は著しい過小評価となってしまうであろう。逆に、このまま泥土の流出が続き生物量が減少し、干潟維持の努力を放棄した結果、数十年後に、投入した海砂が全て流出したとしたら、それを「成功例」と言えるであろうか。  前述したように、この人工干潟は、まだ安定しているとは言いがたいし、変化の途中の一点をみて全体の結果を云々することはきわめて危険である、ということを認識せねばならない。  また、確かにある程度の生物量を示しはするものの、生物種についてはどうか、と考えると事業前の八幡川河口干潟の優占種はコメツキガニとアナジャコであったものが、事業後の優先種はアサリ・ゴカイになっているようである。代償措置として干潟は造ったが、同じ質のものが造られたわけではない。  過去数年のデータ、及び今回の調査結果から判断するに、底生生物量は減少傾向にあり、流出泥土の補充、波浪の影響を低減するフェンスの設置といった、干潟維持の努力なくしては存在し続けることすら難しいのではないか、と思われる。  投資した費用に対して得られた結果からみた場合、残念ながら芳しい結果とは言えないというのが正直なところである。