人工干潟底生生物調査報告書 --粒度組成分析結果-- ---広島五日市--- ---葛西海浜公園・東なぎさ--- ---大阪南港野鳥園--- 1998年12月 1. はじめに  人工干潟の成功例と言われる3つの干潟の底生生物調査を行ううち、底生生物量と、土壌粒子の粒度組成の関係を知る必要があるのではないか、との考えに至った。  以下は、先に報告した人工干潟底生生物調査の結果に、土壌粒度組成のデータを加え考察したものである。 2. 調査目的  近年、開発に伴い埋立等で急速に干潟が消滅していく中でミチゲーション(自然環境への影響緩和策)の概念に基づき各地で人工海浜、人工干潟が整備されるようになってきたが、一口に人工海浜、人工干潟といってもその立地、水域の状況、投入された砂泥の質や量、潜堤や導流堤の形状など、その環境条件は様々であり、また、どのような干潟を創るのか、というビジョンによってもできる干潟の性格、生物相は自然干潟同様、個々の干潟で大きく異なるものとなる。  本調査では、全国の人工干潟の「成功例」とされる、広島五日市、葛西人工海浜(東なぎさ)、大阪南港野鳥園の3カ所を選び、底生生物調査を行った。  広島港五日市人工干潟では、造成1年後から2年後の生物調査の報告がある。今回の調査ではその後の五日市人工干潟の生物相、および現存量がどのように変化したかを知るために調査地点はその調査とできる限り同じ地点を選び、過去のデータとの比較を行った。  葛西海浜公園は東京都江戸川区南端の荒川と旧江戸川河口部に造成された人工海浜である。この海域はもともと三枚洲と呼ばれる自然干潟を中心にした広大な浅瀬域であったが、開発に伴う埋立等で失われた自然海浜や干潟の代償として東京都によって整備されたものである。  大阪南港では、開発に伴い破壊された自然環境回復のため、埋立地内に人工干潟の整備が行われた。 今回の調査では、造成当初からの海水池である西池と、海水を導入して3年目にあたる北池について、底生生物調査を行った。 3. 調査方法 (1) 調査日時   広島港五日市人工干潟      1998年5月26日 13:00〜19:00 干潮 16:01(潮位 -12cm)   葛西人工海浜(東なぎさ)     1998年6月10日 10:00〜14:00 干潮 11:08(潮位 15cm 荒川ポイント)   大阪南港野鳥園     1998年7月4日  9:30〜13:30 干潮 10:31(潮位 109cm) (2) 調査方法  1)コードラード法  それぞれの調査地点内で任意の場所に一辺が25cmのコードラードを設定し、スコップで30cmの深さまで素早く掘り、1mmメッシュ※の篩で少しずつ砂泥をふるい落とし、すべての生物を拾い出した。  採集した生物は、10%ホルマリンで固定し個体数および湿重量を測定した。  ※掘り出した砂泥が1mmメッシュで落ちなかった場合は、2mmメッシュを用いた。  2)コア・サンプラーによる深部調査  長さ1.4m、直径83mmのコア・サンプラー(断面積50平方cm)を干潟泥中に打ち込み、底生生物の採集及び、干潟泥土の観察記録を行った。  アナジャコ類の個体数については、干潟表面に開口している巣穴をカウントし、1平方mあたりの個体数を計算した。 (3) 調査地点概況  1)広島五日市  底生生物の定量採集は下図に示すようにA,B,Cの3地点で行った。B地点、C地点は前述の今村報告の干潟低部の調査地点とほぼ同一の場所である。また、A地点はBおよびC地点の中間地点で、かつ、当初の人工干潟のちょうど真ん中にあたっている。各地点とも数メートル間隔で3カ所ずつ、計9カ所で採集を行った。  干潟高部および中部に関しては、B地点、C地点の高部で試掘を行った結果、砂(礫)の粒子が粗く2mmメッシュを通らなかった。また、干潟生物も見られなかったため、生物現存量のデータには加えないこととした。  造成時の当該人工干潟は、底部に埋め立て地から出た浚渫土を5m近く入れ、その上は約1mの海砂(シルト・粘土分約5%)で覆われていた。当初は次頁の干潟断面図の破線で示すように、護岸から潜堤に向かって緩やかな勾配で傾斜していた。  しかし、7年経過した現在では護岸から30mほどの間で、かなり傾斜がきつくなっている。干潟高部から中部にかけて波浪により相当量の砂が流出し、逆に護岸付近ではうち寄せられた砂が堆積したと推察される。  さらに、干潟の南部分は台風などで砂が流出し、かなりの面積にわたり干潟が消失している。このため、調査地点Cは干出している部分の南端に近くなっている。また、干潟全体が沈下、砂の流出により著しく面積を減じている。  調査地点B,Cの潟土質はほぼ等しく、粒径2mm以上の礫と粗砂、細砂の混じったものであったが、C地点の方が礫の割合が多かった。  A地点は、2年前に山砂(1万1千トン)が入れられた部分で、干潮時には次頁の干潟平面図に示すように長く沖方向に突き出すような形となっている。この山砂は牡蠣殻、礫、砂、シルト、粘土などさまざまな大きさの粒子が混じり合っており、干潟の他の部分とは異なった様相を呈している。  2)葛西人工海浜(東なぎさ)  葛西海浜公園は東京都江戸川区南端の荒川と旧江戸川河口部に造成された人工海浜である。この海域はもともと三枚洲と呼ばれる自然干潟を中心にした広大な浅瀬域であり、かつては海苔養殖やアサリ・ハゼ等の沿岸漁業が盛んに行われていたが、開発に伴う埋立等により失われた自然海浜や干潟の代償として東京都によって整備されたものである。  葛西人工海浜は東西2つのなぎさから成り、東なぎさ(30ha,うち砂浜10ha・浚渫砂泥投入)は渚の生物や野鳥保護のため立入が禁止され、自然保護区となっている。一方の西なぎさ(38ha,うち砂浜15ha・山砂投入)は海の自然と人とのふれあいの場として解放され、開園以来多くの人が訪れている。  底生生物の定量採集は下図に示すようにA,B,Cの3地点で行った。A地点は最も潮が引いた時点で現れた場所であり、B地点は石積み島堤の内側、C地点は導流堤に近い場所である。各地点とも数メートルおいて2カ所ずつ、計6カ所で採集を行った。  3)大阪南港野鳥園  大阪南港野鳥園は、「大阪南港の埋立地内にシギ・チドリの楽園を」と、1983年に南・西・北の3つの池12.8haと、緑地6.5haで開園した。  開園時は、3つの池のうち南・北池は淡水池、西池は、堤防下に埋設されたヒューム管により外港に連絡する海水池であった。  その後、NGOと行政との意見交換や、合同調査の実施、園内の環境悪化を抑えるための改修工事計画の提示等を経て、1995年10月に、西池・北池の連結(干潟の拡張)、新設ヒューム管の埋設等の工事が行われ、現在に至る。  したがって、今回調査した地点のうち、西池は造成後15年目、北池については、淡水池に海水を導入したのち3年目という環境である。  底生生物の定量採集は下図に示すようにA,B,Cの3地点で行った。A地点は、南港野鳥園北池中央付近、B地点は同公園北池が西池と接する点。C地点は西池である。 4. 調査結果 (1) 底生生物現存量調査結果 1) 広島港五日市人工干潟               各調査地点における出現生物の湿重量 (単位:g/平方m) コア・サンプラーによるアナジャコ類調査結果 2) 葛西人工海浜(東なぎさ)               各調査地点における出現生物の湿重量 (単位:g/平方m) コア・サンプラーによるアナジャコ類調査結果 3) 大阪南港野鳥園             各調査地点における出現生物の湿重量 (単位:g/平方m) コア・サンプラーによるアナジャコ類調査結果 採集個体、及び巣穴の確認はできず。 5. 土壌粒子粒度分析結果 (1) 調査方法  a.調査地点  各調査地での底生生物調査と同一地点で、25cm×25cm×30cmの潟土を採取した(ポイントについては各地の調査報告書参照)。  藤前干潟については、アナジャコ類の調査を行ったD2,E,Fの各地点(堤防から300m)及び、堤防前を、新川、庄内川河口については、I,Lの各地点で潟土を採取した。  b.方法  篩目10、5、2.5、1.2、0.6、0.3、0.15、0.075mmの篩を用いて、各地の潟土を振とうしてふるい分け、粒度組成を求めた。 (2) 結果  結果を以下に示す。 図1 各調査地点の粒度組成  (3) 考察  前述の底生生物現存量調査結果と土壌粒度組成から考察を加えてみる。また、土壌粒子の粒度組成には、藤前干潟のデータも加えた。  人工干潟の造成に山砂を使用した場合(五日市、大阪南港)と、浚渫泥を使用した場合(葛西東なぎさ)では、粒度組成に明瞭な差が出る事がわかる。  自然状態の干潟であれば、河川の流速の低下とそれに伴う運搬力の減少で自然にふるい分けが行われ、粗粒のものは中流域で堆積し、干潟には細砂〜シルト、粘土といった細粒の成分が堆積するはずである。  現に、藤前干潟各地点においては、粒度組成では90%以上が細砂以下の粒度のものであり、シルト、粘土が30%を超えるポイントすらある。  対して、山砂を投入すると、シルト、粘土分はともかくとして、粗砂、礫がふるい落とされていないため、自然干潟では存在しない、粗粒成分の多い粒度組成となる。  粗粒の成分は、底泥に巣穴を掘る生物にとっては障害となるようであり(五日市の報告書参照)、結果として底生生物の種類と量に影響を及ぼすと考えられる。  人工干潟の造成に山砂を使用した場合のもう一つの問題点は、山砂の供給源である山地を破壊する、ということである。  中間報告でも述べられているが、干潟環境の創出の為に、山地を破壊していては、湿地の環境回復と言いながら別の環境を破壊していることとなる。  山砂との関係からもう一点述べると、五日市の場合、失われる八幡川河口干潟と同質の干潟を、ということで造成されたのであるが、結果としては潟土の粒度組成の違い・圧密沈下・細粒成分の流出等により、かつての干潟に棲息していた優占種とは違った生物種が優占種となってしまった。特に、底生生物の棲息条件としては、潟土が泥質か砂質かといった粒度組成条件は無視できない。  上記のことから、人工干潟の造成に山砂を使用することは、底生生物の生息面から、また、産地の環境破壊の面からすすめられない。  次に、底生生物の種類と量の面から考えてみたい。  葛西人工海浜東なぎさは、自然環境の回復を目標に、当初から浚渫泥を使用して造成された。土壌粒度組成的には、自然干潟にもっとも近いと言える。ところが、この中でも、粒度組成が微妙に違い、A地点ではシルト、粘土分の少ない組成に、B地点では藤前干潟にもっとも近い組成、C地点では、山砂を使用した人工干潟に近い組成となっている。  このうち、藤前干潟に似た底生生物種と量を示したのは、やはりB地点であり、特にアナジャコなどは、非常に高い密度で生息していることが確認できた。  A地点では藤前干潟東の新川河口干潟に似た結果となっている。また、C地点は、藤前干潟の例からもっとも遠いものとなっている。  山砂の使用された人工干潟の場合で、特徴的なのが広島五日市の場合である。  五日市の潟土の粒度組成と、藤前・葛西東なぎさのそれとを比較すると、図1のグラフからはわからないが、表1の粒度組成を見ると、藤前、葛西東なぎさでは、細砂のうち0.15mm以下のものが90%以上を占めている。逆に、五日市の場合、この粒度のものは10%程度しかないことがわかる。さらに、五日市では礫で10mm以上のものまで含まれている。このため底生生物量はあまり期待できないのではないか、という印象を受ける。しかし、実際に調査してみると、意外に多くの生物量がある。  これは、五日市人工干潟に隣接して、八幡川河口干潟の一部が残存しており、ここから底生生物の幼生が供給される、又は新規個体が移動してくるためであると考えられる。  もう一つは、工事後の山砂の投入等により、流出した細粒分がある程度補充され、アナジャコの大型個体などであれば、干潟低部には何とか生息できるからであると考えられる。  このことは、五日市と似た粒度組成を持ちながら、底生生物の供給源を持たない(供給が難しい)大阪南港の生物量との比較からもうかがい知ることができる。  粒度組成に関していえば、葛西人工海浜西なぎさは、市民のレクリエーションの場として解放することを目的として、本来の粒度よりも粗い砂を投入し、アサリが採れるように計画されたという。  この場合は、明確な目的があって、それに従って計画し、目的にあった粒度の潟土を造ったわけであり、このような意味で山砂を使用する、というのであれば評価できるというものである。もっとも、西なぎさでは、江戸川・荒川の泥土が堆積し、砂質干潟が泥質化してしまい、アサリの収量が減少し、シオフキガイが増加したのだとか。  このように、単に粒度を揃えればそれでよい、というほど簡単でもなく、周辺の河川の流量、運搬してくる堆積物の粒度・量、潮流といった条件も全て考えあわせねばならない。  6. まとめ  人工干潟の造成のために投入される砂の粒度組成は、どのような性格の干潟を造るのか、また、その干潟に定着する底生生物の種類がどのようになるのか、といった点から慎重に検討されなければならない。  人工干潟の土壌粒度組成と自然干潟のそれを較べて一見してわかることは、山砂を投入してつくられた人工干潟では、本来そこには存在しないサイズの粗砂・礫といった大径の粒子がかなり多量に含まれていることである。  干潟に投入するものは、単に砂であれば何でも良いということは全くなく、安易に山からの砂を投入すれば本来河口干潟には存在しないサイズの礫が混ざることになり、底生生物の棲息に影響を及ぼす。また、人工干潟のために大量の山砂を採取すれば、山を破壊することになり、これは結果として、その山の下流域への有機物供給を減少させ、干潟を含めた浅海域に影響を及ぼす恐れが多分にある。  自然状態の河口部では、流速の低下とそれに伴う運搬能力の低下により、細砂、シルト〜粘土といった細粒の粒子が主体となるが、今回調査を行った広島五日市、大阪南港では、礫が30%程を占め、逆に細砂以下の粒度のものは多くて40%代であり20%を割り込む場合すらあった。また、大部分が礫質、という条件の場所(五日市干潟上部)では、底生生物はほとんどみられなかった。これは、本来細粒の土壌粒子であれば、有機物残渣、水分を保持することができるが、礫質のみでは間隙が大きすぎて水分は保持されず、有機物残渣はほとんど堆積しないため、底生生物が棲息できない状況になるためである。  では、その場にある浚渫泥ならよいのか、というと、採取場所、採取方法にも十分な配慮が必要である。かつての東京湾では、海砂の浚渫により浅海域に深みを造り、結果として貧酸素水塊の発生を招き、浅海域に大きなダメージを与えた。「人工干潟を造る」といって、人工干潟予定地の近辺から浚渫したのでは、浚渫による埋立となんら変わるところがない。  また、水流を阻害し、流路を変化させること、水流を停滞させることで何が起きるかは、サツキマスの遡上が減少し、アオコが発生し、堰の下流に数十cmのヘドロを堆積させた長良川河口堰を見れば一目瞭然である。  海岸から外海へと緩やかに深度が増し、徐々に変化する環境は、生態系、物質循環の見地から非常に重要であり、浅海域に段差をつくること、水域を分断することは厳に慎まねばならない。このことは、東京湾の例、長良川河口堰、諌早湾の閉め切りなど、環境に大きな影響を与えた多くの事例が示していることである。 人工干潟底生生物調査 --粒度組成分析結果-- 1998年12月 現場調査参加者:花輪伸一(WWFJ)、吉田正人(NACS-J)、古南幸弘(日本野鳥の会)       加藤倫教、鈴木晃子、伊藤恵子、辻 淳夫、小嶌健仁(以上5名 SFA)                          下線は編集担当 参考文献       土木学会 編  土質試験のてびき 野鳥の渡来数からみた「人工干潟」の評価 はじめに  渡来地の環境変化は、伝統的な渡りを続けている渡り鳥にとって、致命的な重要性を持つ。いいかえれば、人間の目からは把握しにくい環境の変化も、生死をかけた渡り鳥の渡来状況からみれば、より明瞭になる。  「人工干潟」がそこにあった自然の干潟の代償になっているかどうかは、渡り鳥の渡来状況の変化をみるのが一番であるが、その把握には、野鳥の生態にあわせた長期の継続観察が必要であり、それにはその地域で観察している方々のデータが欠かせない。  したがって今回の調査は、地元の方々からの聴き取りや、データの提供を受け、それを分析することを主眼とした。 1. 広島港五日市の例  さいわいここでは、人工干潟の造成に先立って、日本鳥類保護連盟広島県支部や日本野鳥の会広島県支部における野鳥の渡来状況の把握と、人工干潟の造成目的とその目標とすべきところが広島県港湾局との間で話し合われ、その後の継続調査もしっかり行われていた。  当初から関わられ、今も継続して調査や研究を進めておられる日本野鳥の会広島県支部の日比野政彦氏にお話をうかがい、データをみせていただいた。その膨大な資料は氏自ら分析を進められたものであり、人工干潟の改良や八幡川河口部と関連地域の環境保全に資する努力に大変感銘を受けた。  しかし、20年にわたる野鳥の渡来数の経年変化を一目みれば、そうした努力もありながら、やはり渡り鳥にとっては厳しい環境の変化であることがわかる。  ここには、八幡川河口の特徴であったヒドリガモの渡来数変化(図表−1)と、広島県の事前調査で把握された優占種4種とその現状との単純な比較(図表−2)をしてみた。 結果の考察  特徴的な優占種であったヒドリガモやハマシギが約4分の1に減少している事実が端的に示しているように、人工干潟造成から10年たった現在、残念ながらそれが成功したとはとてもいえない。かつてあった八幡川河口から扇状に広がり、五日市地区の前浜干潟の埋立の影響は重大で、人工干潟で代償することはできなかったというべきであろう。  現在の渡来は、残された八幡川河口の干潟に大きく依存しており、その環境保全を第一にしつつ環境修復が図られることを期待するほかはない。 図表-1.八幡川河口におけるカモ類の個体数推移 図表−2.造成前の優占種4種の現状との比較 優占種による比較 A:人工干潟造成前、1983.9-1984.8、「八幡川河口域水鳥生態調査報告書」、広島県 B:現在のデータ、1997.4-1998.3、「八幡川河口および関連地区野鳥調査」、日比野政彦 参考図.消滅した自然干潟と人工干潟(1988-1991造成) 2.東京湾葛西海浜公園−東なぎさの例  東京湾の干潟は90%以上が埋立てられ、今や盤洲、三番瀬、富津、そして埋立地に囲まれながら、かろうじて海とつながって生きている谷津干潟のみになった。特に東京都内には、葛西沖の三枚洲と京浜島沖に少しを残すだけという。  千葉の干潟を守る会の田久保晴孝氏によれば、東京湾ではかつて羽田飛行場拡大のために羽田洲(干潟)が埋立てられ、そこで観察されたハマシギ1万羽をはじめとするシギ・チドリ類(都内で越冬していた個体群)は絶滅してしまったという。  東京湾葛西海浜公園は、このような急速な環境破壊への代償措置として計画され、人の出入りを前提とした西なぎさと、人の出入りを禁じた東なぎさからなる。後者では、自然の干潟と野鳥の生息地を少しでも復活させようと目的を明確にしている。そして安易に「人工干潟」などと広言せず、時間をかけて自然の力に待つ謙虚な姿勢に好感がもてた。  私たちがみせてもらった6月10日は、春の渡りのシーズンを過ぎており、夏鳥のサギ類やカワウの集団が多数休息していて、鳥たちが安心できる場所になっていた。  葛西地域のみの過去の渡来数に関するデータは今回入手できなかったが、東京湾の全数についてのデータ(日本野鳥の会東京支部 1976−1994年)と最近の葛西地域カウントデータ(日本湿地ネットワーク、シギチドリ全国カウント1996-1997年)を得た。これらのデータは東京湾の渡来地が埋立によって受けた影響の大きさと環境復元の困難さをうかがわせる。三番瀬などの残された自然環境を守りながら、復元をめざす息の長い取り組みが必要であろう。その意味で重要な役割をもつ葛西の人工環境だが、底生生物の調査にみられるようにまだ不安定である。推移を慎重に見守って適切な対応をとっていくことが望まれる。 全国シギ・チドリ春秋カウント報告書(1996、97発行・日本湿地ネットワーク)より 3.大阪南港野鳥園の例  大阪湾の干潟は日本でもっとも早く開発が進み、自然の干潟は100%消失した。 私たちが伊勢湾の干潟の埋立に対して声を上げた1970年ごろ、東京湾では千葉の干潟を守る会、大阪湾では南港の野鳥を守る会が活動中で、両者から教えと励ましをいただいた。当時の南港の運動は、すでに自然の干潟は失われた中で、渡来する渡り鳥を救うため埋立地の先端に野鳥園をつくれという、いわばゼロからの出発であったらしい。  1968年から始まった運動は、多くの人々の長い幾多の努力を経て1983年の野鳥園の開園で実を結んだ。そして開園後も減りつづけた渡り鳥の渡来状況を改善しようと、海水を入れる干潟部分の拡大・改良を重ねられた結果、やっと1996年から小型のシギ・チドリの渡来が増えてきたという。   南港の野鳥を守る会は苦節17年、野鳥園の開園を得て1984年に活動の幕を閉じたが、先達のあとを引き継いで野鳥園に通いつづけ、その運営と改善に努力を続けているのが日本野鳥の会大阪支部の南港グループ96(代表 高田博氏)である。今回の調査は、高田さんの収集されている膨大な記録や調査データの一部を抜粋してまとめた。  大阪湾が渡り鳥でにぎわっていた頃は、住吉浦というところがそのメッカであったらしい。そこに1940年ごろから軍用地として100haの埋立地がつくられたのちも、さらに1958年から929haの埋立が再開された当初も相当多くの鳥が渡来していたようだ。  当時の定量的なデータが少ないのが残念だが、高田さんからいただいた「大阪湾にシギ・チドリの楽園を−大阪南港の野鳥を守る会の17年−」(1985.8.7同会発行)にある塩田猛さんの記述には「1965年当時ハマシギの4000-5000羽の群れがいた」とある。このことからも、大阪湾が東京湾・伊勢湾・有明海と並ぶ渡り鳥の一大渡来地であったことがうかがわれる。  次ページの表は高田さんのまとめから、代表的な種についての渡来数の推移をみたものだが、埋立の進行によって鳥たちが激減した様子がわかる。ひとつだけグラフにしたハマシギは塩田さんの記録と併せてあるが、これが全体の様子を代表するものとしてよいだろう。この傾向は東京湾における推移と類似している。  NGOと行政の協力で、埋立地の一角にともかくも野鳥の生息地が造られ、復元への努力を続けられている事は高く評価すべきだが、失われたものの大きさを厳粛にみる必要もある。  東京湾でも伊勢湾でも、この南港の事例などを参考に失われた自然環境の復元を図っていくことは必要である。しかしそれは現在かろうじて残されている三番瀬や藤前の自然を保全しての上であることはいうまでもない。 大阪南港シギ・チドリの渡来数推移 1998.6 主な種類の最大個体数   南港グループ96 高田博氏のまとめより ※「大阪湾にシギ・チドリの楽園を−大阪南港の野鳥を守る会の17年−」   中の塩田氏のデータを援用 参考文献 広島県.「八幡川河口域水鳥生態調査報告書」、1983.9-1984.8 日比野政彦.「八幡川河口および関連地区野鳥調査」、1997.4-1998.3 日本湿地ネットワーク.全国シギ・チドリ春秋カウント報告書、1996、97 日本野鳥の会東京支部.カウントデータ、1976−1994年 大阪南港の野鳥を守る会.「大阪湾にシギ・チドリの楽園を         −大阪南港の野鳥を守る会の17年−」、1985.8.7 大阪港開発技術協会.大阪南港野鳥園ガイドブック、1989.12 南港グループ96 高田博.大阪南港シギ・チドリの渡来数推移、1998.6 人工干潟の現状と問題点 人工干潟は藤前干潟埋め立ての代償措置になり得るか はじめに  名古屋市の藤前干潟におけるゴミ処分場建設計画について、名古屋市は、その環境影響評価書案で干潟や渡り鳥への影響は明らかとしながらも、人工干潟などの代償措置を講じることにより処分場建設を計画どおり進めようとしている。  しかしながら、一般的に言って、代償措置としての人工干潟については、その目的、規模、構造、機能、費用対効果などについて十分に検討されているわけではない。  そこで、(財)世界自然保護基金日本委員会(WWF Japan)、(財)日本野鳥の会(WBSJ)、(財)日本自然保護協会(NACS-J)、日本湿地ネットワーク(JAWAN)、および藤前干潟を守る会は、人工干潟実態調査委員会を設置し、既存の人工干潟について現地調査、文献調査を行い、人工干潟の現状と問題点および人工干潟が藤前干潟の代償措置になり得るのかについて検討を行った。その結果について報告する。 人工干潟の実例  開発により自然海岸が失われた場所では、代償措置として海浜を造成した例があるが、多くの場合は人々の憩いの場としての人工砂浜であり、渡り鳥の渡来地や底生生物・魚類等の生息地、水質浄化の場としての機能を目的とした人工干潟の例は少ない。  広島市五日市地区人工干潟(八幡川河口)、東京都葛西海浜公園(東なぎさ・西なぎさ)、および大阪南港野鳥園(西池、北池)は、生物の生息地としての干潟の造成が主要な目的とされ、造成後にも生物や底質などに関する調査が継続されていることから、この3地域の人工干潟について、現地調査、文献調査を行った。 1.広島市五日市地区人工干潟(八幡川河口)  広島市五日市地区の八幡川河口では、港湾計画による干潟の埋め立ての代償措置として、1987年から1990年にかけて、幅250m、長さ1,000m、面積24haの人工干潟が造成された。1991年から92年までの調査(文献1)では、以下のような報告がなされている。  人工干潟は造成後20-40cm程度沈下しており、波浪や台風により浸食された部分もあり、堆砂がみられる部分もある。粒土組成は、礫20%、砂76%、シルト・粘土4%であった。干潟の底生生物の平均現存量は829g/m2であり、水質浄化量は底生生物現存量をもとにCOD除去量と有機物除去量として計算すると、1,000g/m2/年を越え(グラフからの読み取り)、自然干潟を大きく上回る結果が得られた。鳥類は、工事期間中は減少していたが、造成2年目には種類数、個体数とも以前と同様の数になった。  一方、同一地域の1997年度の調査報告(文献2)では、かならずしも上記と同一の視点や調査・分析方法を用いているわけではないので、直接比較するのは困難であるが、以下のような記述がみられる。人工干潟の栄養状況は、底質の硫化物量、COD量でみると全域が貧栄養域に相当し、粒土組成では瀬戸内海の一般海域に近い底質となっている。底生生物は、干潟高部(陸側)が貧栄養域、低部(海側)が富栄養域に相当する種類構成を示している。なお、隣接する八幡川河口干潟では、いずれも富栄養域の様相を呈している。  底生生物の現存量は、1992年から97までのデータがグラフで示されている。これによると、干潟低部では、現存量は春夏に大きく秋冬は小さいという季節変動があり、93年、96年には5,000−6,000g/m2という高い数値が得られているが、96年10月以降は700-800g/m2と小さな値が続いている。干潟の中部、高部については95年以降現存量は小さくなり季節変動も明瞭ではなくなっている。   水質浄化量は、上記調査と異なり人工干潟の不撹乱底砂を実験室に持ち帰って測定している。その結果、人工干潟の浄化能は窒素が0.103g/m2/日、リンが0.008g/m2/日で、自然干潟の東京湾三番瀬のそれぞれ57.5%、30.3%であり、自然干潟より大きく下回った。  鳥類については、シギ・チドリ類、ガンカモ類ともに個体数が減少し、人工干潟の利用率が低下している。1983年と1997年の調査結果を比較すると(文献3、4)、主要な種類では、ヒドリガモ、ハマシギが約4分の1、コサギが5分の1に減少している。ユリカモメは30%減程度である。  筆者らによる1998年5月の現地調査(文献5)では、以下のような状況であった。造成後7年を経過した人工干潟では、地盤沈下と波浪による浸食が進んでおり、5月26日の大潮干潮時(潮位−12cm)には造成当時の約3分の1程度の面積しか干出しなかった。干出部の底質は大部分が砂礫で、粒径が2mmを越えるものが多い。2mmメッシュの篩いを用いて採集した底生生物の現存量は、3地点(各地点3サンプル)のそれぞれの平均値でみると、530g/m2、460g/m2、1,359g/m2であった。これは、91-92年の調査報告で示されている現存量の5分の1から10分の1程度である。 2.葛西海浜公園(東なぎさ・西なぎさ)  東京湾には、明治後期には136平方kmもの広大な干潟があったが、昭和50年代後半には埋め立て等によりわずか10平方kmにまで減少している。 東京都江戸川区地先でも干潟が埋め立てられ、その代償的な意味で沖合に人工干潟・海浜が造成された。東なぎさは1983年に浚渫砂泥により約30ha、西なぎさは1988年に山砂で約38haが造成され、東なぎさは自然生態系保全のため立入禁止、西なぎさは橋がかけられ市民のための親水海域として利用されている。  葛西海浜公園地区では、人工干潟造成以前から東京都環境科学研究所によって底生生物や水質、底質などの調査が行われている。また、東京湾の自然干潟との比較調査も行われている。同研究所年報や関連する報告書 (文献5,6,7) によれば、底生生物の種類数は東なぎさで17種、西なぎさで19種であり、干潟造成後7-11年経過しても、造成前の1973年における同地域の26種には回復しておらず、年ごとの変動も大きい。また、底生生物の現存量は、東なぎさの方が西なぎさより多い傾向があるが、両なぎさとも造成前の現存量には回復していない。底生生物による水質浄化量は、1988年から4年間の平均で、東なぎさが77g/m2、西なぎさが37g/m2であった。なお、自然干潟の千葉県盤洲干潟は151g/m2、三番瀬は75g/m2の年間平均浄化量が測定されている。東なぎさは三番瀬と同等の数値となっている。  鳥類については、種類数は、造成前の1973年の20種から徐々に増加し、1992年以降は40種前後で安定している。個体数は、造成中の1978年の1,000羽未満から全般的に増加している。特に、秋冬期にはガンカモ類、ハマシギ、ユリカモメなどが年によって15,000−17,000羽確認されている(文献7)。  筆者らの1998年6月10日の調査(文献8)では、1mmメッシュの篩いを用いて採集した底生生物の現存量は、3地点(各地点2サンプル)のそれぞれの平均値でみると、1,697g/m2、301g/m2、93g/m2であった。現存量の最も高い数値は、殻径3-4cmのシオフキガイが18個含まれていたことによる。この地点は当日の低潮線付近であり、陸側に入るとシオフキガイは少なくなり、高潮線付近ではみられず、ゴカイ類が多くなっていた。  鳥類は渡りの時期を外れていたので、シギ・チドリ類、ガンカモ類はほとんど見られなかったが、休息中のカワウが約5,000羽観察された。  東なぎさ、西なぎさの前面(南側)には広大な自然干潟である三枚洲があり、両なぎさの底生生物の供給源となっている可能性が高い。また、シギ・チドリ類にとっても三枚洲の存在が大きく、自然干潟と人工干潟の両方を生息場所としていることが考えられる。 3.大阪南港野鳥園(西池、北池)  大阪湾においても埋め立てが進み、現在では自然の干潟はほとんど残されていない。かつてはシギ・チドリ類の渡来地として知られていた住吉浦も、港湾整備のために埋め立てられた。南港野鳥園は、埋め立て地に造成された野鳥の生息地であり、1983年に開園している。  当初、淡水池(南および北池)と海水池(西池)、合計12.8haから成っていたが、1995年に改修工事が行われ、海水の入る西池と北池が連結され干潟部分が拡張された。海水の流入流出は、15本設置されたヒューム管によるが、外海側には捨て石が積まれており、海水はその間隙を通過している。この点が、五日市および葛西の人工干潟と大きく異なる。なお、干潟の大部分は、海水が導入されてから、まだ、3年目であり、それ以前は淡水池であった。  筆者らは、1998年7月4日に3地点で底生生物調査を行ったが(文献9)、湿重量は、22.4g/m2、1316.8g/m2、+g/m2と大きなばらつきがあった。造成後、海水池の古い部分で15年、新しい部分で3年が経過したのみであり、干潟が発達するにはまだ時間の経過が少ないと思われる。しかし、海水が捨て石の間隙とヒューム管を通じて供給されることまた、干潟表面から40cmのところに基底土(浚渫泥)流出防止のための樹脂製ネットが設置されていることなどが影響している可能性もある。また、干潟表面から数@下に厚さ3-4@の黒色の還元層が見られるところが多いことから、酸素の供給が少ないことが考えられる。  シギ・チドリ類は、1996-98年には、23-33種、総個体数は、春期が824〜1278羽、秋期が575〜727羽記録されている(文献10)。 人工干潟の現状と評価  広島市五日市地区の人工干潟は、完成直後から始まった地盤沈下(年間15-20cm、干潟造成のために積み上げた土砂自体の重量による)、台風(1993年)や波浪による砂泥の流失によって底質は礫が多くなり、面積もかなり縮小している。底生生物は、造成直後2-3年間はアサリが多量に生息し、現存量や水質浄化能は自然干潟より高いという調査結果が得られている。しかし、面積の縮小、底質の礫化などによって、底生生物の現存量は小さくなってしまったと考えられている。96年には中央部に山砂を12,000トン補給し、干潟の回復を図っている。以上のことから、この人工干潟は地形的にも生物的にも安定した状態には到ってないと言えるだろう。  渡り鳥、特にシギ・チドリ類の渡来地としての視点で見ると、食物となるゴカイ類や小型カニ類などが少なく、干出する面積も時間も、数十羽から数千羽で渡りをする鳥類にとっては狭すぎると考えられる。実際、最近ではシギ・チドリ類の種数、個体数はともにすくない。一方、この点については、干潟全域のベントス分布や量、粒度組成、干出時間と関係する地形変化などについて面的に把握し、評価検討する必要が指摘されている(文献12)。シギ・チドリ類が生息できる干潟への環境改善が期待される。  東京都葛西海浜公園(東なぎさ・西なぎさ)は、地形的には安定しているようにみえる。立入禁止の東なぎさでは、陸側にヨシ原が発達し、平坦な干潟には澪筋ができるなど、景観的にいい状態になりつつある。西なぎさでは、砂中のシルト・粘土分を低減する養浜工事が行われ、海辺環境を楽しむ利用者も多い。しかし、底生生物の種数、現存量については造成以前の状態には回復しておらず、変動もかなり大きいとみられている。特に、年によって異なった種類の二枚貝が大量に出現することがあり、これは二枚貝の幼生が外部から供給されることによって一時的に復活するためと考えられている(文献13)。特に、両なぎさの前面には、三枚洲と呼ばれる浅海域が広がり、一部に自然干潟もあることから、底生生物の幼生は容易に供給されると思われる。一方、大きく変動する理由としては、この地域が荒川、江戸川放水路の河口に位置するため、河川水により塩分濃度が低く、洪水時にはほとんど淡水化すること、また、青潮の発生による底生生物の大量死滅が起きている可能性がある(文献8,13)。しかし、90%以上の干潟が失われ、シギ・チドリ類の渡来数も10分の1に激減した東京湾では、両なぎさは貴重な地域である。そのため、湾奥の干潟の回復を目指し、基本的な構造をより多様性のある湿地や干潟へ変更すべきとの指摘がなされている(文献13)。  大阪南港野鳥園は、住吉浦の干潟がすべて埋めたれられた後、埋め立て地に造成された鳥類の生息地である。そのため、外海とは堤防で区切られ、海水の流入流出はヒューム管を通して行われている。このような構造と改修後の時間的短さから、底生生物相および生物量には場所的なばらつきが大きく、相対的に少ない。しかし、人工干潟の構造改善が図られており、規模と環境に見合った生物量、鳥類の渡来数が期待される。また。この野鳥園では公園管理者とボランティアが連携して環境管理、普及教育を行っている(文献14)。 人工干潟造成の費用についてみると、広島の例では、25haの干潟を造成するのために、総事業費として約42億円を必要とし、その後の調査やメンテナンス等に年間数千万円が使われている。東京の場合には、資料を入手していないので分からないが、推定するに30haおよび38haの人工干潟には百億円以上が必要だったのではなかろうか。大阪の場合も同様と思われる。  以上のことから、わずか3例であり例数が少ない、また、造成から数年ないし10数年の時点でのことであるという問題はあるが、人工干潟と自然干潟の違い、特に、問題点として、一般的には次のことが指摘できるだろう。  人工干潟は、(1)面積が狭い、(2)地形、底質が不安定、(3)生物の多様性が低く、底生生物の種数・現存量とも不安定、(4)シギ・チドリ類の食物となる底生生物が少ない、(5)有機物・COD除去の水質浄化能力が低い、(6)後背湿地やアシ原、前面の浅場や藻場とのつながりがない、(7)造成と維持に莫大な経費がかかる、(8)造成用の砂泥の採集が二次的破壊をもたらす。これらの点を考慮すれば、人工干潟は自然干潟におよばないのは明らかである。  ただし、筆者らは、人工干潟の造成を否定しているわけではない。コンクリートやテトラポットで覆われ、人々が近寄れず生物も住めない海岸線に、ふたたび自然を取り戻すためには、人工干潟の造成はむしろ有効な方法であると考えている。広島県と東京都、大阪府の3つの人工干潟造成の例は、当時の社会背景の下では、行政当局の相当な努力があったことは間違いなく、失われた干潟を復元するということは、今日的にも大きな意味を持っている。また、住民参加の下で環境教育などに活用されることは、たいへん意味のあることである。  しかしながら、注意すべきことは、人工干潟の造成という環境復元の手法を、現存するアクティブな自然干潟を埋め立てるための理由に使ってはならないということである。 「人工的なものは、しょせん人工物であり、万年の単位を要して形成された自然環境のすべてを用意できるわけではない。今ある干潟を大切にし、その上で自然回復に、人間が何の手伝いをできるかを考えた上で、人工干潟の問題を取り扱うべきである」(文献15)。 人工干潟は藤前干潟の代替措置になり得るか  これまで述べてきたことから、「人工干潟の造成を藤前干潟を埋め立ての代償とする」という名古屋市の主張は、以下の点で大きな問題があり、効果は期待できず、実現性の低いものであると考えられる。 1.人工干潟は自然干潟におよばない  造成された人工干潟は、面積、地形、底質、生物の多様性・種数および現存量、シギ・チドリ類の食物、水質浄化機能、造成と維持の経費など、ほとんどすべての面で自然干潟に及ばないのは明らかである。特に、面積は大きなファクターであり、藤前干潟の代償とするなら、人工干潟の質が劣る分をより広い面積にすることでカバーしなければならない。したがって、国内最大のシギ・チドリ類の渡来地である藤前干潟を人工干潟で代償することは不可能である。 2.造成の費用対効果は割に合わない 人工干潟の造成には、面積30ha前後のものでも、総事業費として数十億円から数百億円を必要とし、その後のメンテナンスにも年間数千万円を必要とする。現存する藤前干潟を埋め立て、一方で、莫大な費用を必要とする人工干潟を造成することは、費用対効果からみると割の合わないものであることは明らかである。面積を狭くすれば少しは安上がりになるかも知れないが、干潟としての構造と機能は期待できず、かえって無駄遣いになるだろう。  三河湾の一色干潟(10km2)における試算によれば、同干潟の水質浄化力は、活性汚泥法の下水処理施設と比較すると、1日最大処理水量75.8トン、計画処理人口10万人、処理対象面積25.3 km2 程度の下水処理場に相当する。これは、最終処理施設の建設費が122億1000万円、年間維持管理費が5億7000万円で、その他必要な下水道施設建設費・維持費を合計すると、総額878億2000万円に相当する(文献16)。  広大な自然干潟を壊して、小さな人工干潟を造成することは、まったく合理的ではない。 3.アセスメントおよびミティゲーションの方法が間違っている  ミティゲーションの定義は、環境影響を、(1)避ける(avoid)、(2)最小化する(minimize)、(3)矯正する(rectify)、(4)減少(reduce)か消去(eliminate)する、(5)代償措置を行う(compensate)とされている(文献17)。そして、ある開発行為を行う場合には、この順番で検討されなければならない。つまり、環境アセスメントにもとづき代替案を検討したが、それが該当地でなければならないという証明がなされた後、順次、次善の策を検討するということである。代替案や次善の策を検討せず、いきなり代償措置に飛びつくのは、論理的、科学的な態度ではない。  また、ミティゲーションの基本は「 No net-loss 」、つまり開発による生態系の損失を、生物生息環境の人為的創出により実質的に補うことである(文献18)。  一方、新しい「環境影響評価法」でも、第三条において、国、地方公共団体、事業者および国民は、環境への負荷をできる限り回避し、または低減すること、その他の環境保全についての配慮が適正になされるよう、それぞれの立場で努めなければならないとされている。すなわち、まずは回避の努力をすべきなのである。 4.藤前干潟保全の世論、国際世論は大きい  日本および世界において、干潟をめぐる社会状況は大きく変わっている。開発の対象としてではなく、生物多様性の保全、水質浄化機能の保持、沿岸漁業の振興などの視点から、干潟の保全の必要性とそれを支持する世論は、ますます大きくなっている。特に、日本の場合には、すでに40%の干潟が埋立や干拓により失われ、今後も干潟の開発計画はいくつも続いているのである。現存する自然干潟は保全し、過去に失われた干潟を復元することが、今後の保全政策として求められる。  1999年5月のラムサール条約締約国会議(コスタリカ)では、日本の干潟の消滅問題が大きな話題になると予想される。藤前干潟は保全されるべきである。 謝 辞  本調査および文献収集を行うにあたり、次の機関の方々の多大なご協力をいただいた。心からお礼申し上げる。東邦大学理学部生物学科、東京都港湾局、東京都環境保全局、東京港防災事務所、東京都環境科学研究所、広島県広島港湾振興局、工業技術院中国工業技術研究所、日本野鳥の会広島県支部、(財)日本鳥類保護連盟、(株)五洋建設技術研究所、大阪南港野鳥園、(財)大阪港開発技術協会、日本野鳥の会大阪支部。 文 献 1.今村 均.1994.人工干潟の造成による環境保全対策     ―生態系と生息環境の追跡調査事例―.用水と排水(36)1:33-39. 2.広島県広島港湾振興局・復建調査設計株式会社.1998.五日市地区港湾環境整備事業     人工干潟追跡調査委託. 3.広島県.1984.八幡川河口域水鳥生態調査報告書. 4.日本鳥類保護連盟広島県支部.1997.広島港五日市地区港湾整備事業に係わる鳥類等の生息変動影響調査. 5.人工干潟実態調査委員会.1998.五日市人工干潟底生生物調査. 6.木村賢史.1994.人工干潟(海浜)の水質浄化機能(1).水36(6):23-36. 7.木村賢史.1994 .人工干潟(海浜)の水質浄化機能(2).水36(8):20-29. 8.木村賢史.1996.葛西人工干海浜における自然浄化能力).水38(9):101-107. 9.人工干潟実態調査委員会.1998.葛西人工海浜底生生物調査    ―葛西海浜公園・東なぎさ―. 10.(財)大阪港開発技術協会.1989.大阪南港野鳥園ガイドブック. 11.日本湿地ネットワーク・シギ・チドリ委員会.1996-1998.     シギ・チドリ類全国カウント報告書. 12.今村均・細川恭史.1998.沿岸生物環境の再生・創造のための人工干潟造成.     第33回水環境学会セミナー資料P129-139. 13.風呂田利夫.1997.海岸環境の修復.東京湾の生物誌202-218.築地書館. 14.人工干潟実態調査委員会.1998.大阪南港人工干潟底生生物調査    ―南港野鳥園、西池・北池―. 15.風呂田利夫.1977.人工干潟は自然を取りもどせるか.     入浜権―海岸線を守る手づくりの思想.ジャパン・パブリッシャーズ. 16.西条八束監修.1997.とりもどそう豊かな海 三河湾 「環境保全型開発批判」.    八千代出版. 17.磯部雅彦.1996.米国のミティゲーションの動向と日本への適用における課題.     海岸工学論文集43:1156-1160. 18.風呂田利夫.1998.自然は戻るのか? 東京湾の人工海浜批判と提案.    水情報18(5):14-17. 人工干潟実態調査委員会  花輪伸一 (財)世界自然保護基金日本委員会 WWF Japan  辻 淳夫 藤前干潟を守る会  小嶌健仁 藤前干潟を守る会  鈴木晃子 藤前干潟を守る会  加藤倫教 藤前干潟を守る会、パンダクラブ愛知  伊藤恵子 藤前干潟を守る会  古南幸弘 (財)日本野鳥の会 WBSJ  吉田正人 (財)日本自然保護協会 NACS-J 問い合わせ先  花輪伸一 WWF Japan  〒105-0014東京都港区芝3-1-14  TEL.03-3769-1713 FAX.03-3769-1717 E-mail:LDN02770@nifty.ne.jp