藤前干潟埋立計画および    人工干潟など代償措置に対する意見 ・佐々木克之 ・寺井久慈 ・佐藤正典 ・高田 博 ・西川輝明 ○ 佐々木克之      中央水産研究所・海洋生産部 物質循環研究室  新聞情報によれば、名古屋市は埋立着工と平行して代償措置としての人工干潟造成を進めるとのこと、これに対して運輸省が認可申請までに代償措置について科学的な見通しをはっきりさせるよう求めているとのことです。私の意見は、運輸省の考えは正しいし、運輸省の言う科学的な見通しを得るには数年は必要で、今すぐ埋立を強行しようとしている名古屋市の要望は無理だということです。  もう一度新聞情報を整理すると、専門家でつくる自然環境保全措置検討委員会は、46.5ヘクタールの処分場建設で失われる渡り鳥のえさ場などを補う方法として、約18.8ヘクタールの人工干潟の造成と、既存干潟12.2ヘクタールのかさ上げなどの方針を8月に決めた。検討委は人工干潟の効果を確かめるため、先行して試験施行をする必要があると判断、既存干潟に接続し、環境に大きな影響を与えない場で試験を行う方向で合意した。 1. 誰がどのように責任を持つのか? …失われる場所とひき換えに新たな場所を造成するので埋立を認可してもらう、という考えは一見良いように思われるかもしれないが、失われる干潟は自然が長い間に自然科学的真理の法則が作用してできたものであり、造成される新たな場所は人智に基づくもので、これを同列に扱うことはできない。新たな場所が代替機能を持つことを証明するのは、今までの知見に基づけばかなり困難と思われる。 とくに問題なのは、試験を行い、たとえ良い結果がでても本施行でそのようになるのかを予測するのがかなり困難と思われ、造成後代替機能がない場合、誰がどのように責任を果たすのか、このことを明記しなければ、人工干潟の造成は認められないと考えます。また、試験結果が良いのか悪いのかの判断基準はどうするのか、これも問題です。  藤前干潟は日本におけるシギ・チドリの極めて重要な中継地として知られています。極めて残念なことに現在藤前干潟と同程度に重要な中継地であった諫早湾は失われつつあり、藤前干潟の重要性がいよいよクローズアップされている現在、このくらい慎重でなければならない情勢にあります。少なくとも、代償措置としての人工干潟をめざすならば、その前に整理しておかなければならない問題点をクリアーする必要性を強調したいと思います。 1)人工干潟が代償措置たりえるとする根拠をどのようにして明らかにするのかを示すこと。 2)造成された人工干潟が予期に反して代償措置を持たないとすると、誰がどのように責任をとるのか。 2. なぜ人工干潟が代償措置となりうるのかを説明しなければならない…多くの人工干潟が良い成績をおさめていません。それは、干潟が砂などの干潟を形成する懸濁物質と流れ・波浪の相互作用で決まるものですが、これを予測して今まで干潟が無かった場所に安定的な干潟を造成する技術が未完であるからです。したがって、極めて重要な意味をもつ藤前干潟の代償措置のための人工干潟を造成しようとするならば、なぜそのような困難を克服できるのかを反対するものへ示す義務・責任があります。新聞情報を読むかぎり、やれば何とかなるだろうという、いわゆる"後は野となれ山となれ"式発想があるように考えています。これはそのくらい責任のある問題であることを認識し、そのことを具体的に示さなければ、無責任な対応と非難されるべきで、当然認められない問題です。 3. 責任問題は予定されている埋立計画にも適用される…今までのアセスメントは、埋立によりどれだけ失われるのかという問題が中心であったが、埋め立て地を造成することにより、周辺はどれだけ影響を受けるのかという問題は十分に検討されてこなかったと思います。例えば、埋め立て地は鉛直もしくは緩斜面護岸が作られるでしょうが、そこに付着したイガイなどの付着生物は死んで底質を悪化させたり、流れが弱くなることによる地形変化などが予測されますが、これをどれだけ科学的に予測できるのか、この問題も明らかにすべき課題です。 4. 結論として言えることは、人工干潟の代償措置機能の解明は、科学研究の段階の問題であり、事業の段階の問題ではないということです。もし、事業の段階の問題であるというならば、そのことを明らかにする責任があります。科学研究の段階の問題であるならば、早急には結論が出ない問題であり、ゴミ問題が焦眉の課題であるとするならば、代替地問題が最重要課題ではないでしょうか。反対する人々が提案した代替地がゴルフ場であるという話を聞いて、名古屋市の正常な判断力を疑います。 ○ 寺井 久慈            名古屋大学大気水圏科学研究所  名古屋市の西一区公有水面(藤前干潟)埋立ての免許申請に際して、これまで名古屋市の環境影響評価準備書について意見書を提出し、見解書に対する意見表明と公聴会における意見陳述を行ない、また1997年秋の追加調査結果についての意見表明などを行なって来た者として、名古屋市の環境影響評価書および「干潟の整備計画」に関して以下のような多大な問題点があると判断されます。関係各位におかれましては、干潟生態系に対するわが国の施策が国際的な注目を惹いていることにも鑑みて、申請の埋め立てが適正か否か厳しく判断されるよう要望致します。 (1) 経緯: 本環境アセスメントは、埋め立て面積46.5haとして1994年1月より実施され_(1996年7月に_「環境への影響は小さい」とする環境影響評価準備書が発表されたものである。これに対して事業者の見解が発表されたが、何ら出された意見に耳を傾けようとせず、準備書の主張するところ(「環境への影響は小さい」)を糊塗するものに過ぎなかった。(例えば、「渡り鳥は周辺の干潟をよく利用するが藤前干潟の利用率は1%以下」とか「新川河口干潟には浄化力があるが藤前干潟にはない」など、実際に調査を経験した者には恣意的で非科学的なデータの扱い方としか考えられない結果を示している)。このために公聴会開催が請求されたが、公聴会は紛糾・延長の結果、1997年5月、7月、8月の3回にわたり開催されることとなり、この中で様々の問題点が浮き彫りになった。 * 西一区埋立ての港湾計画が105haのまま変更されていないにも拘わらず計画を縮小したとして46.5haでアセスを行なっている。(これ以上埋め立てないということは公聴会で追求されて始めてその方向に向けてアクションを起こしている) *「とくに水鳥の生息地として国際的に重要な湿地」としての基準を満たす藤前干潟について、ラムサール条約登録を目指して国(環境庁)が鳥獣保護区に設定する意向であるにも拘わらず、この情報を秘匿、無視して環境アセスを推し進めた。 *ゴミ埋立ての代替地は西五区(20年以上前に埋め立てた遊休地、指摘されて最近ゴルフ場として整備に取りかかる)や南五区(愛知県内の産廃埋立地でゴミが少なく経済的にピンチ)など指摘されているにも拘わらず、真面目に検討した形跡がない。  この間、名古屋市環境影響評価審査委員会から要請のあった追加調査について、春は時間的余裕がないとして、1997年秋(8-11月)に鳥類と水質浄化機能に関する追加調査が実施された。不十分な調査ながら、この中で影響範囲を200mとして鳥類の藤前干潟利用率も50%を越え、水質浄化機能も植物プランクトンおよび付着藻類の光合成、底泥の溶出実験、潮汐の干満における底泥間隙水の動態などから明らかになった。  この追加調査結果も踏まえて、1998年3月名古屋市環境影響評価審査委員会は、この干潟埋立て事業は「鳥類などの生息環境及び周辺水域の水質等干潟生態系に影響を及ぼすことは明らかである」とする環境影響評価審査書を発表した。事業者が「環境への影響は少ない」とする環境アセスメントに対してこれを否定する審査書が出されたことは、わが国の環境アセスメントの歴史においても画期的なことであろう。しかし、それほどに環境への影響が明らかに認められる事業に対して、審査委員会は事業の見直しではなく「本事業を実施する場合には、次のような自然環境保全措置を実施すべきである」として「人工干潟の造成、既存干潟の部分的嵩上げなど」の検討、「自然環境保全措置検討委員会」の設置及び「周辺干潟域の鳥類・底生生物などの生息状況や水質などについて環境モニタリング」の実施を提言している。これにもとづいて、名古屋市は1998年6月自然環境保全検討委員会を組織し、同7月の愛知県知事意見(県環境影響評価審査委員会答申)を受けて、同8月20日に環境影響評価書を発表し、同8月21日「干潟の整備計画」とする人工干潟案を併せて運輸省に公有水面埋立の免許申請を行ったものである。 (2)「干潟の整備計画」の問題点  本整備計画においては、水面下18.8haの干潟化、既存干潟の嵩上げ部分12.2haを含む総面積38.2haを整備区域とするものである。干潟面積29.9ha、総面積46.5haを埋立てするために上記(1)に述べた経緯で環境アセスの手続きが踏まれ、4年半をかけて環境影響評価書が出来上がった。しかるに、この干潟整備計画においては、何ら環境アセスの手続きも経ずに水深50cm以内の浅海域の埋立てを実施しようとするものである。低潮時の水深6m以浅の海域はラムサール条約の対象水域となりうる貴重な水域であり、既存の干潟と一体の浅水域生態系を構成しているものである。このような生態系を改変する場合、ラムサール条約の「湿地のワイズユース」の観点からは、その構成生物種や密度、種間関係および物質循環過程や水質浄化機能などについてその現状を把握し、しかる後にその改変が有効か否かを検討する必要がある。単にゴミ埋立てにより消失する干潟面積に見合う面積のみを計算して海面下の埋立や干潟を嵩上げしようとする計画は干潟生態系抹殺の犯罪を二重に犯すものである。干潟整備計画に関しては正規の環境影響評価の手続きを踏むことを要望する。 (3) 藤前干潟埋立て環境影響評価の問題点  藤前干潟埋立ての環境アセスにおける様々な問題点は、意見書や公聴会における意見陳述および名古屋市や愛知県の環境影響評価審査委員会などにおいて指摘されている。渡り鳥の中継基地としての重要性、水質浄化や内湾・沿岸漁業資源における役割、次世代に継承できる貴重な自然遺産である、ゴミ最終処分場の逼迫は市のゴミ対策の怠慢に責任がある、藤前干潟以外の代替地が真面目に検討されていない、「自然との共生」を謳う万博開催の理念に反する、などの多岐にわたる観点から論じられている。  ここでは、私が水質浄化機能や干潟生態系に関する研究に携わっていることから、その面での環境アセスの問題点について述べることにする。  先ず基本的な問題として、ラムサール条約でいわゆる「湿地生態系のワイズユース」を考える時、湿地の果たす役割を正しく評価することが求められている。干潟生態系の果たす役割を正しく評価することが環境影響評価の目的でなければならない。しかるに、藤前干潟の環境アセスにおいては干潟の生物種、量に関する調査(鳥類以外)は1994年の春夏秋冬各1回で計4回、水質浄化機能に関しては夏冬の2回と1997年の追加調査で1回補足したに過ぎない。しかも干潟の調査にもかかわらず、追加調査を除いては大潮の干潮時に干潟が干出した時点の調査は行なっていない。このような粗雑なサンプリング、干潟の特性を考慮しない調査では、干潟を正しく理解する知見は得られない。千葉県が行なっている東京湾三番瀬の開発計画に関わって行なわれている生態系調査では、1年間の調査では何も得られないということから、2年間の追加調査が行なわれ、専門家により当該生態系の特徴が把握できるデータが得られたということである。このことから考えても1年間の調査では1997年秋と1998年春の部分的な追加調査を含めても、藤前干潟についてはまだその本当の価値が把握できる程のデータが得られたとは思えない。そのような状況の中でも、干潟の水質浄化機能に関して準備書や見解書では「新川河口干潟には浄化機能があるが、藤前干潟にはない」としていたものを評価書では「藤前干潟にも浄化機能がある」とせざるを得なかった。これは浄化機能の計算を干潟生態系モデルを用いて行ったもので、干潟生態系構成生物種の現存量と食物連鎖(捕食・被捕食)関係、排泄・分解、底泥からの栄養塩溶出などから窒素循環量を算出し、干潟における総窒素除去量を浄化の指標として示したものである。意見書や公聴会などで指摘されたように、干潟の底生生物の現存量評価をスミス・マッキンタイヤー採泥器で行っていたため、干潟最表層部の生物種、生物量しか把握できていなかったのである。(これも小潮の冠水時のサンプリングしか行なっておらず、干潟の特性を把握する調査法ではない)。1997年秋の追加調査でアクリルパイプコアー法で1m深度までの採泥を行なって、はじめて泥質の藤前干潟の特徴であるアナジャコのバイオマス把握が出来るようになった。これにより、懸濁物食者による水質浄化機能が夏季藤前干潟で 5.6mgN/m2/日(見解書)とされていたものが93.7mgN/m2/日(評価書)と見直され、総窒素除去量も−21.9mgN/m2/日(見解書)で浄化機能はないとされたものが 47.3mgN/m2/日(評価書)の浄化機能があると見直された。  (準備書・見解書) (評価書) (夏季のみデータ抽出) 藤前干潟 新川河口 藤前干潟 新川河口 水中有機物の底泥への堆積 113.8 111.0 112.4 159.5 懸濁物食者の水中懸濁物濾過 5.6 117.5 93.7 194.9 底泥からの栄養塩溶出 −141.3 −176.2 −158.8 −174.2 (O-N除去量)−(I-N溶出量) −21.9 52.3 47.3 180.2 (単位:mgN/m2/日)  評価書では、藤前干潟でのみ底泥からの栄養塩溶出が増加しているが、これは付着藻類の光合成が82.4 mgN/m2/日から 55.4 mgN/m2/日に下がっていることによると思われるが、その理由や詳しい計算過程が公表されていないので詳しい議論はできない。しかし、溶出については1997年秋の追加調査で、アンモニアの溶出は当然であるが、硝酸に関しては底泥へのかなりの吸収が認められており、溶出が過大評価になっていることを考慮する必要がある。 (4) 評価書の結論についての問題点  藤前干潟の埋立てに係る環境影響評価の最終結論としての評価書について、水質に関する問題点の一例を下記に示す。  第3部第1章(埋立て後の水質予測)では、「TーN及びT-Pは現況及び存在時とも環境基準を満足していないが、下水道の普及及び総量規制の効果により、存在時には現況よりも低くなると予測される。従って、環境保全目標は達成されると考えられる」となっている。準備書の段階から「将来の下水道普及や総量規制に関する計画や予定をもとに将来の水質を予測して現況と比較することは何ら干潟埋め立ての影響を予測するものではない」ことが意見書により指摘されてきた。その結果、見解書では将来の予測負荷量をもとに埋立地の存在の有無による水質変化の予測図が掲載され(附属資料 p183- 194)、CODについてみると、日光川前面海域では夏季に0.3mg/l、冬季に0.7mg/l程度濃度が高くなっています」と記載された。しかるに評価書においては準備書の段階の水質変化の予測図(3-1-63-3-1-68)が掲載され、上記結論が記載されている。  これは環境アセスメントの手続き中に指摘された誤りが何ら結論に反映されていないことを示すものである。 (5)モニタリングについて  評価書の第2部第2章および第6章(埋立て工事中の水質汚濁と水生生物に対する影響)で工事による水生生物に対する影響として、「予測の結果影響は小さいと考えられることから、環境保全目標は達成されると考えられる」とし、「工事中は仮設矢板施工部周辺でも定期的モニタリングを実施」し、「モニタリングの調査結果については、検討委員会に報告し、水生生物の生息環境の保全に努める」とある。また、前記評価書第3部第1章においても、「環境保全対策として、既存干潟の改良などを検討するため、モニタリングを実施し影響を把握するとともに、検討委員会の指導・助言を得ながら、干潟改良の試験施工を行ない、その効果を確認しつつ、干潟のもつ水質浄化機能を回復するよう努めていく」とある。  ここでは、「モニタリング」という極めてあいまいな表現で「環境保全対策」が取られることになっている。しかし、具体的に「何を」、「いつ」、「どこで」、「どのように」測定するのか何も示されていない。環境アセスメントとしてわずか1年間、4回しか水質や生態系調査を行なわなかった名古屋市が、それ以上の時間と資金をかけてモニタリングを実施するとは思えない。とすると年に1-2回程度であるが、それでも定期的モニタリングである。しかしそのような粗雑な間隔では生態系への影響は把握し難いし、影響が把握できたとしても、その時点では対策が間に合わないということになり兼ねない。本当に名古屋市はモニタリングを実施し、生態系影響が認められる場合には直ちに埋立てを中止し、対策を講じる意欲があるのだろうか? もし、そのような意欲があるならば、建設省が長良川河口堰について実施したように、数箇所の水質自動観測ステーションを設置し、データを検討するモニタリング委員会を設置し、データを公開するシステムを構築するべきであろう。  名古屋市はモニタリングの結果を「検討委員会」に報告し、その指導・助言を得て、工事に反映させるとしているが、「検討委員会」は名古屋市の「干潟の整備計画」を簡単に容認している委員会であり、モニタリングの結果について正しく判断できるかどうか不安である。長良川河口堰と同様にモニタリングの結果を公開するとともに、検討委員会を公開することを強く要望する。 ○ 佐藤正典       鹿児島大学理学部地球環境科学科 助教授 はじめに 日本の制度では、環境アセスメントをとりまとめるのは、開発を行おうとする事業者自身であり、いわば「自己点検」のようなものである。したがって、環境アセスメントが意味あるものになるかどうかは、事業者自身の環境保全に対する見識とモラルに委ねられている。名古屋市の藤前干潟をゴミ処分場として埋め立てる計画についての環境アセスメントは、名古屋市の行政の見識が悲しいほどに貧困であることを内外に示す結果となってしまった。 干潟埋立以外の選択肢について 最大の問題点は、干潟埋立が唯一の選択肢とされ、それ以外の案が全く検討されていないことである。「ゴミ処分場の確保がきわめて困難なので干潟を埋め立てるしかない」と説明されているが、その一方で、この計画の当事者らが同じ名古屋港内の遊休地にゴルフ場を建設するという。ゴルフ場の方が干潟よりも大事という判断である。ゴミの埋立期間はたったの10年間である。10年分のゴミのために、これまで奇跡的に残されていた干潟を永久に失うことよりも、たとえば、ゴルフ場の建設を10年間待ってもらって、ゴミ埋立完了後にその上にゴルフ場を作るという選択肢もあるはずである(ゴルフ場予定地は約60haの面積があり、今回の事業計画の面積を上回る)。 本来、自然環境の保全に対する見識が多少ともあるならば、計画策定の段階で、干潟埋立以外の代替案も含めて、複数の選択肢について公正な科学的調査が行われ、どれが最も賢明な選択であるか判断されるべきである。このような根本問題を検討することなく、干潟埋立を前提として環境アセスメントを進めるということは、最初から干潟を保全すべき対象とは見ていないことを意味し、環境アセスメント制度の趣旨に反するものである。このようなやり方は、たとえ日本の現行法に抵触しないとしても、モラルに反する行為である。公共機関である地方自治体がこのようなことを強行すれば、実際の環境アセスメントは全くの骨抜きになってしまい、環境アセスメントの現場で働く人々の意欲をなくしてしまうだろう。さらに、国際的に日本はますます信用されなくなるだろう。 したがって、ここには環境アセスメントの内容に立ち入る以前の問題があり、このまま今回のたった一つの案についての環境アセスメントだけで海域埋立の申請が許可されるようなことがあってはならないと考える。 環境アセスメントにおける干潟の価値の過小評価 環境保全の熱意がない環境アセスメントがどんなひどいものになるか、たとえば、干潟の浄化能力について見てみよう。干潟の浄化機能とは、海に流入したチッソやリンが干潟生態系に取り込まれ、最終的に系外に運び出されることである。チッソやリンは多すぎれば富栄養化という問題を生じるが、基本的にはすべての生物にとって必須の栄養素である(ダイオキシンのような毒物とは根本的に異なる)。干潟生態系は、単に水をきれいにするだけではない。水中のチッソやリンは食物連鎖を通してゴカイなどの生体成分に再構成され、それがさらに大型動物の食料となる。大型動物は、最終的にチッソやリンを干潟の外に運び出すために重要な役割をはたす。特に鳥の活動などによって、海に流出したチッソやリンが再び陸に返される過程は、長期的に見れば陸の生物にとってたいへん重要である。 環境アセスメントでは、「藤前干潟は、隣接する新川河口干潟に比べて底生生物がとても少ないので、浄化能力も大変小さい」とされている。これは以下の3つの理由で、大変な過小評価になっていると思われる。 1)新川河口干潟が砂質で、ヤマトシジミなどの二枚貝が多い所であるのに対して、藤前干潟は泥質であり、大型甲殻類のアナジャコが多数生息している。アナジャコは二枚貝よりもずっと深く潜っているので(深さ2m以上の巣穴が確認されている)、環境アセスメントの調査方法ではアナジャコを採集できない。 2)干潟生態系は大変複雑で、数量化が難しい部分が多い。環境アセスメントの限られた数量データだけから単純なモデル式を用いて干潟の浄化能力を計算すること自体、無茶なことである。たとえば、鳥の採餌によってどれだけのチッソやリンが干潟から除去されるのかは、干潟の浄化能力を評価するために決定的に重要であるのに、「モデル化が難しい」などの理由で計算に入っていない。シギ・チドリ類の飛来数が日本最多といわれる藤前干潟で、鳥を無視して浄化能力を計算するとは、公正でない。 3)藤前干潟における脱窒によるチッソ除去量は、環境アセスメントでは、1.2〜2.8mgN/平方m/日と見積られているが、根拠が明記されておらず信頼できない。同じ場所で専門家によって学術雑誌に発表された過去のデータによれば、脱窒によるチッソ除去量は20倍以上高い(33〜66mgN/平方m/日、伊藤ほか、1991年、水質汚濁研究14:867〜875)。 干潟の整備計画について 失われる干潟環境の代償措置として、埋立地の周辺にさらに土砂を入れて人工的な干潟を造ることが計画されているが、干潟生態系は干潟とすぐその下の浅海域がセットになったものであるから、浅海域をつぶすことは生態系全体としてはマイナスの効果にしかならない可能性がある。また、もともと干潟でないところに砂を入れても、それが長年維持されるとはとても思えない。広島湾の人工干潟では、入れた土砂の重さで地盤が沈下し、干潟はやせ細り、鳥の飛来数も減っている。このような点を一切検討することなく「干潟の改良」などと言うことは、あまりにも無責任である。 まとめ 今日の国際的な課題である環境保全は、「鳥がかわいそう」という次元の問題ではない。「自然の生態系のこれ以上の破壊は、人間の子孫の生存基盤を脅かす」という危機感が、研究者だけでなく市民の共通意識となりつつある。だからこそ日本もラムサール条約や生物多様性条約という国際条約に参加しているのである。地方自治体がいまだに環境保全の理念を持たず、自然の価値を軽視することは許されない。日本中の干潟がこれほどひどい状況になっているのに、次世代の心配ができないというのは、モラルの欠如と言うべきであろう。 特筆すべきことに、藤前干潟では地元の住民グループが専門家の助言を受けながら独自の調査を行い、報告書をまとめている。そこでは、環境アセスメントが見落としていたアナジャコの生息状況も詳しく調べられており、データの信頼性が高い。名古屋が誇るべき藤前干潟の価値の大きさと保全の必要性を明確に主張したこの報告書こそ真の環境アセスメントと言うべきものである。この市民の努力を無駄にしてはいけない。 ○ 高田 博      日本野鳥の会 大阪支部・南港グループ代表  藤前の人工干潟計画について、南港野鳥園での経験から意見を述べさせてもらいます。  まず、1)どんなに立派な人工干潟を作っても、今の藤前干潟の代償には到底なり得ないこと。さらに、2)今の干潟の先端部への浚渫土の投入は、人工物で藤前干潟の前面を遮る形となり、潮流をはじめとした様々な要因が藤前干潟に悪影響を及ぼすことは間違いないということ。この二つの点でとても納得のできない計画です。  南港野鳥園は、1983年に開園した人工の干潟です。ただ、ここは、防波堤の内側にあり、大阪湾と園内の海水池が15本の導水管でつながっていて、海水池に干潟ができるようになっています。  1995年に干潟を拡張して、少しは面積的に安定した状態に移行しつつはあるものの、少しの環境変化で底生生物相が激減したりして、まだまだ、ガラス細工のような人工干潟です。人間が少しずつ手を入れて、その後は自然の力にまかせてはいるのですが、干潟の生物が思った通りに増えてはくれません。これからまだまだ何年もかけてやっていかないと安定した人工干潟にはならないと実感しています。  人工干潟というのは、建設費と維持管理費は膨大です。また、干潟を見ていくNGOの人達のエネルギーもかなり必要です。放っておけば、人工干潟はただの埋立地や荒れ地に変貌してしまうでしょう。  南港のように10haにも満たない人工干潟を維持するのですら大変なことは、身にしみて感じています。藤前のように、外海に人工干潟を作れば、その維持管理はもっと大変なことは目に見えています。安易な考えで人工干潟を作ることには賛成できません。 ○ 西川輝昭       名古屋大学人間情報科学科  藤前干潟埋め立ての代償措置として人工干潟をつくるというのには、あきれるばかりです。現在陸地となっているところ(たとえば埋め立て地)を高性能の人工干潟に変えるというのであれば、水質浄化や渡り鳥の中継地としての新たな貢献が期待できるかもしれません。現在そういった点での価値がゼロであるところですから。ところが、干潟周辺部を嵩上げ(低く埋め立てる)するということは、その部分のこういった価値をやはり0と見ているのかもしれません。ともかく、日焼けをするのに、手軽にただでできる日なたぼっこをせず、わざわざ高いお金を払ってビルのなかの日焼けサロンで人工の紫外線をあびるようなまねは、やめたほうが賢明と思われます。  考えるに(考えなくても)、潮下帯上縁部(干潟の周辺の浅いところ)の水質浄化能力や生物生産力を、干潟(潮間帯)とくらべてどの程度と見積もるかがひとつの問題です。さらに、人工干潟のこれら諸力を、自然干潟のそれとのくらべてどのように見積もれるかも問題となります。具体的なデータを踏まえて議論すべきところですが、残念ながら私の手元には資料がありません。そこで考えるだけ考えてみました。 (1) 潮下帯上縁部の諸力=自然干潟の諸力と見積もる場合には、長い時間がたってやっと、その人工干潟がたとえ自然の干潟と同様な状態に成熟したとしても、究極的に1(潮下帯上縁部の浄化・生産能力)が1(人工干潟の同能力)になるだけのことです。「代替」とするためには、人工干潟の諸能力が自然干潟のそれを上回ることが必要です。これは常識的に考えにくい。ちなみに、喪失面積と同程度の大きさの人工干潟を作って「代償」とする場合には、人工干潟の能力を自然干潟の2倍(!)と想定していることになります。 (2)次に、潮下帯上縁部>自然干潟と見積もる場合には、前者を破壊して「干潟」を作ることはあきらかに本末転倒ということになります。 (3)潮下帯上縁部<自然干潟と見積もる場合、たとえば前者が後者の半分とした場合、かりに長い時間の後で人工干潟の能力と自然干潟の能力が同じになると(誇大に?)仮定しても、埋め立てで喪失する面積の2倍を嵩上げして人工干潟を作らないと、「代償」にはなりません。今回の市の案では、喪失面積とほぼ同程度の広さを人工干潟とするようですが、これは、上記の仮定のもとで考えると、潮下帯上縁部の能力を0とみなしていることになります。これは過小評価もはなはだしいと思われます。  さらに別の問題があります。一般的にいって、干潟はそこからなだらかに続く潮下帯上縁部があってはじめて十分な機能がはたせると考えられます。潮がひいているときには潮下帯にいて、潮がさしてくると干潟部分に移ってくる、つまり水平移動する生物も知られています(底生動物にかぎっても、ガザミ類やキンセンガニなどの大型カニ類や泥の中のある種の無腸類ウズムシなど)。もしかりに、「嵩上げ」が、垂直の堤防のようなもので縁取られるとしたら、干潟と潮下帯とは生態的には断絶されるおそれがあります。また、潮下帯上縁部自体が喪失する結果ともなりかねません。こうなれば「代償」はおぼつかなくなります。  このように見てくると、今回提案の人工干潟造成が、藤前干潟の埋め立て(喪失)部分の代償措置となるとはとうてい考えられません。