試案
ヒトの食べ物 ’08.07
日本人の食べ物
生活習慣病にならないための
関山英男
まえがき
現在の日本人の死亡率は、断然トップの70%近くを「生活習慣病」が占めています。 つまりほとんどの人がこれで亡くなっているということになります。 ところが野生動物にこの手の病気は見られず、人と人に飼われている家畜、ペットと……、とにかく人の生活に関係する動物達に限定されているわけです。 そこでなぜ人を中心にこういった病気が発症するのか? なぜ日本人に特に多いのか? それは昔からなのか? 更に、なぜ現在の医療での完治率が低いのか? などなど、次々とたくさんの「なぜ?」が湧き出してきました。
当初、著名な書物を参考にしたのですが、先の疑問に納得のいく回答がえられず、古書店、図書館やインターネットなどに情報源を広めること、ジャンルを問わないように意識しました。 そして更にそれぞれの説の情報源を訪ねたり「会」、「クラブ」、「フォーラム」などに通ったりして情報を集めました。
そこから見えてきたのは、「遺伝や進化などのように短期で証明できにくいから」という理由で現在主流の西洋医学が排除している治療法、健康法などです。 これらは一口に民間療法と称され、様々な形態があり、にわかに全てを信じられる訳ではありません。 が中には顕著な治療の効果があったり、病気にならないで健康で生涯をおくったりしている生活習慣もあります。 これらを(一切の先入観を無くして)再考するべきではないか? と考えたのです。 例えば、日本総合医学会初代会長、元東京大学教授の故二木謙三医学博士が薦めた玄米菜食の話です。 実はこの玄米菜食、江戸時代までの私達の先祖の生活そのものがそうであったのですが、今日になっても実践されている人達はおられ、彼等が一般に元気でありご老人もかくしゃくとしています。 そうです彼等がなぜ健康でいられるのか? この疑問を説明する理屈はとても重要だと思いました。 それでこれを解くために歴史を一つの糸口にすることから始めました。 年中これを食べてきた習慣を持つ地域の人達の健康状態は? 寿命は? 白米食に変えるとどうなるのか? 更に日本人は何を食べてきたのか? 玄米を主食にできなかった時は何を食べていたのか? 白人にも良いのか? などです。 その他関連すると思われる、資料も併せて探しました。 それは正に遺伝と進化抜きの勉強ではどこにもたどり着けない厄介なものでした。
「生活習慣病」は、人生を志半ばで失う表わしようのない無念と悔恨、介護を受ける慙愧の思いばかりか、知的財的損失など社会的にも大きな影響を及ぼします。 このことを考えた時、私達は後世に二度とこのような不幸な「とき」が来ないように「理屈で真実を知り、理屈で真実を伝える義務がある」と思います。
また、この勉強を続けることで新たな出会いがありました。 人の体は実に密接に環境と関連していること、更に先祖と子孫に対して繋がっていることなど、決して個人の範疇に納まらない存在であることが分かりました。
そして、江戸時代のこの日本では「生活習慣病」が存在しなかったばかりか、なんとその時代は、「自殺」、「殺人」、「非行」など、現在普通に見られるようになってしまった数々の痛ましい事件も極めて少なかったのです。 肉体ばかりでなく、精神まで含めた本当の健康を考えた時、そんな「とき」に思いを馳せ、新たな提案まで考えてしまいました。
目次
まえがき
本文の前に 病気をどう考える?
生活習慣病って何?
第一部 なぜひとは生活習慣病になるのか?
ひとって何? ヒトは何? ヒトはみな同じ?
食生活を変えて病気になった事例
食生活を変えなくて良かった事例
第二部 なぜ食生活の変化で病気になるのか?
ほぼ民族ごとに異なった体
ヒトの体はどれくらいの期間で食べ物に適合するのか?
第三部 日本人は何を食べてきたのか?
歴史的史実に基づいて
第四部 今を生きる日本人は何をどう食べればよいか?
食べ物
食べ方
第五部 二度と不幸な歴史を繰り返さないために
なぜ理想的な旧来日本食を放棄したのか?
どうすれば再構築できるのか?
まとめ
おわりに
参考図書
本文の前に
病気をどう考える?
病気には、発症原因の違いで分けると「中毒」、「感染症」と「生活習慣病」のなどがあります。 「中毒」とは放射線や重金属、毒劇物などによって障害が出た状態のことを言います。 感染症とはエイズ、肺炎、インフルエンザなど病原菌を始めとした体外生物の寄生により障害が出た状態を言います。 そして生活習慣病とは、名のように日々の生活習慣によって発症するガン、脳・心筋梗塞、糖尿病などの病気を指します。 一般的に慢性的で完治率が低く、致死率の高い病気でもあります。
このように発症原因は異なるのですが、一概に共通点があります。 それは病気になりやすいひととなりにくいひとがいることです。 特に生活習慣病はその傾向のあることが特徴とも言えます。 従って、本当に大事なこととは、自身の体の特徴を知り、それに適った生活習慣を身につけ病気にならないということです。 なぜなら、生物の進化というものが、とりまくあらゆる刺激(環境)に関係してきたことが、生物の進化の歴史から容易に推測できること、中でも病気は特に大きなファクターになっていることは間違いなく、つまり今を生きる私達が不健康な日々をおくることが、未来の多くの人類に大きな負の影響を残す可能性があるからです。
では、実際問題として、生活習慣病をはじめとしてどのような病気にもならずにいられるのでしょうか? 結論から言えば、絶対にならない方法などあり得ないのかもしれません。 が、罹患する可能性を少しでも減らす方法はあります。 それは、攻撃、防御、維持力を最強の状態でいつもいられるようにすること。 つまりいつも健康でいることです。 では、どのような暮らし方をすれば健康でい続けることができるのでしょうか? このことを考えます。
生活習慣病って何?
「ガン、心臓病をはじめ多くの病気が増えている。そして進歩したとされているアメリカの医学を活用し、しかも巨額の医療費が注ぎ込まれているのに、アメリカ国民は病気ばかり増えてますます不健康になるばかりだ。この原因を解明し根本的な対策を立てないことにはアメリカは病気で滅んでしまう。」 これは1977年アメリカ合衆国上院栄養問題特別委員会に提出された、(いわゆる)マクガバンレポートに関して、委員長であるマクガバン氏が述べた言葉です。 このレポートは、世界中から膨大な資料を集め2年間に渡り熱心な審議調査がされ、結果、「現代先進国の食事の間違いを厳しく指摘するとともに、薬や手術を主体とする現代の医学にも根本的な批判を加え、栄養を重視する医学に変革せよ、医学革命が急務だ」と言っています。 余談に、「われわれは何か重大なことを見落としていたのではないか。また現代の医学が進歩していると考えていること自体も間違っていたのではないか」とか、ケネディ上院議員に「私達の食生活は間違っていた。」と言わせています。 つまり「ガン、心臓病をはじめ多くの病気の主犯は食生活にある」と言っているわけです。
それから約20年後の1996年に日本の厚生省(当時)は、公衆衛生審議にて従来の「成人病」に変わる概念として「生活習慣病」という病名を提案し、さらに下表1のように食習慣、運動習慣、休養、喫煙、飲酒等の普段の生活習慣別で病名を公表しています。
食習慣 |
2型糖尿病、肥満症、脂質異常症(家族性のものを除く)、高血圧、 高尿酸血症、心筋梗塞、大腸がん、歯周病等 |
運動習慣 |
2型糖尿病、肥満症、脂質異常症(家族性のものを除く)、高血圧等 |
喫 煙 |
肺扁平上皮がん、心筋梗塞、慢性閉塞性疾患、歯周病等 |
飲 酒 |
アルコール性肝疾患等 |
厚生労働省健康づくり施策概論
そしてその対処策として、正しい食習慣?とは、「一日に30種類以上の食品を取るように心掛けましょう。」と提案したわけです。 (農林水産省からも「食事のバランスや楽しみながら」など食生活指針が出されている)しかし、生活習慣病を始め病気は増え続け、日本の医療費は一昨年40兆円/年を超えてしまいました。 40兆円/年と言えば、日本国家予算の約半分、消費税で言えば1%で約2兆円の税額になるそうですから、私達は買い物の時に常に約20%の医療費を支払っているとも言い換えられます。
ちなみに生活習慣病名を列記すると
脳卒中、狭心症・心筋梗塞・不整脈、高血圧症、動脈硬化症、高脂血症、糖尿病、痛風・高尿酸血症、COPD(慢性閉塞性肺疾患)、胃・十二指腸潰瘍、脂肪肝・アルコール性肝障害、胆石症、歯周病、骨粗鬆症、肥満症、がん(生活習慣病治す防ぐ大辞典、主婦と生活社)
第一部 なぜひとは生活習慣病になるのか?
先のマクガバンレポートでは「世界中から膨大な資料を取り寄せた」と言い、更にパーシィ議員は世界三大長寿圏である「ヒマラヤの麓の村フンザを10年も調査し、自らそこの習慣を見習っている。」ということですが、果たして人の体が万国共通ならば、それも意味があると言えるでしょう。 しかし外見では一目で外国人と分かるほど違うところがあるのに、共通視しても良いのでしょうか? 一番身近でありながら、現社会では触れる機会が少ないために、なかなか気づかれない自身の体について、まず調べます。
ひとって何? ヒトは何? ヒトはみな同じ?
かつて人類は、ライオンとヒョウを交配しレオポンを、ライオンとトラでライガーを、ウマとロバにもラバという新動物を誕生させました。 ラバは馬の性格の良さとロバの辛抱強さを兼ね備えていたため、アメリカでは随分たくさん作られました。 しかし、彼等にはいずれも子供ができません。 それは、彼等が近縁種どうしだったために次へ繋げられる遺伝子交換ができなかったからです。 いずれにしても自然界では生まれてこない動物達です。
現人類はどうでしょう。 現人類はすべての民族間を越えて脈々と子孫ができます。 そうです、人類は近縁種ではなく同一種なのです。 では、同じはずの人類でありながらなぜこんなにも肌 瞳の色 鼻の形、体の大きさ等々違っていて、一目で他民族のひとと分かるのでしょう。
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「肌
瞳の色」: 紫外線は濃い色ほど透過率が落ちる. 人類の誕生はアフリカであることは間違いなく(細胞内にあるミトコンドリアは母系遺伝子のみを継承するという特異性がありこれを辿って行くことで発生地が特定できる)、結果的に赤道に近いほどそれが多くあり、色の濃いヒトほど優位に生き残れる要因にある. その後一部の人類が赤道からより遠くへ離れると、紫外線の影響は少なくなり都合がよくなる反面、体内でビタミンDを合成するためには光は不可欠であり、肌においてはこれを取り入れるため、また瞳においては薄暗くても視力が落ちにくくするために色が淡くなっている. と考えられる. 近年極近くで現れているオゾンホールによる紫外線の増加は、白人にとっては不利な進化となった.
l 「鼻の形」: 気温対策として、赤道から遠く離れて永く住んでいた人たちほど鼻は
高く小鼻が狭い (逆は横に広く穴も大きい) これは取り込む冷たい空気を鼻で暖める効果があり、肺の負担を減らせた. このことはその地で優位であり結果的にもそういう子孫で占められることになる.
l 「耳の形」: 木や岩などの障害物が多い地域では大きいほど外敵の接近をより早く聞きつけたり、餌となる動物を捕獲する機会が多くなったり優位に働く. また脳の冷却器という説においては高湿度地域に耳たぶの大きな傾向があるのは、その効果が決して小さくないと考えられる.
l 「体の大きさ」: 暑い地方では小柄とか、逆に手足の長い背の高いヒトが多い、いずれにしても痩せていて、体積に対する表面積比率を大きくして体表から温度を逃げやすくする体系であることに共通する. 一方寒冷地のヒトほど熱に変換できるカロリーを多く貯めたいのと、これも表面積比率の原理からみて逃げる温度の量が少ないという都合の良さから大型化し、この形質を持ったヒトほど優位に生存が進んだと考えられる. またこの現象は定温動物である鳥類と哺乳類にしか見られない.
さらに別の視点、地球上の生物の変遷から大観しヒトを考えると……。
地球上に生命が誕生した時、大気に「酸素」はありませんでした。 そうです「酸素」があると生きられない生物から始まりました。(もちろん私達の遠い先祖です) しかしその後「酸素」を大量に発生させる生物が分化し、「酸素」があると生きられない先住の生物達を追いやり席巻してゆきます。 ところがなんとこの「酸素」を利用し生存域を広げる新たな生物が登場し台頭してきます。 つまりこの地球上の生物の歴史は、常に自身と子孫の存続のために他生物の攻撃に耐えながら、たまたまその環境に適合した形質を持ち合わせた個体、集団のみが生き残るという連続の結果であったわけです。
このことから地球生命の歴史の最も終盤に登場した私達ホモサピエンスは、受け継いでいるこれらの形質も多くあって、例えば極めて危険な元素「酸素」を、エネルギー効率が高いことで、これを最も重要な材料に取り入れるばかりか、外敵から身を守るために最も強力な攻撃武器、活性酸素に作り変えて利用する能力を備えています。 (この活性酸素が自らの細胞を傷つけガン化しても、同時にこれを安定した酸素に変えたり、傷口を修復する別の機能があり、病変するのはこの機能の不具合が最大原因とされている) 実はこういったことが、危険物質扱いされている「ヒ素」「水銀」にも見られることから、私達地球上生物ヒトは、先祖が永い時期過ごしてきた環境値であれば、取り込んでも無毒化したり、あまつさえ利用してしまう、つまり先祖が永い時期過ごしてきた環境に適合した体になっていると考えるべきなのです。 そして逆を考えてみれば、この体は、先祖に経験のないことや、経験があっても経験値を超える量の物質や環境に遭遇したとき、対応できずにその個体に障害を発生させる要因にもなるということです。
これらから生物が環境に影響を受け、その環境に適合できた種のみが生き延びてきたことが分かります。 そしてその環境が生物に刺激を与えるもの全てを指す、と捉えるならば、食生活(食べ物と食べ方)もその環境要因の一つになるわけです。 従って食生活が生活習慣病の最大原因になりうることが、先のマクガバンレポートのように考えられるわけです。 ではこれを確認するために、どんな時ひとは生活習慣病になっていたか? 逆にひとは健康であったのか? の事例から見ることにします。
食生活を変えて病気になった事例
第二次大戦後における日本の食生活の欧米化が進むのに比例するように、日本人の生活習慣病患者が顕著に増えていることから、このことが疑われてきたのですが、これ以外にも道路の開通や移民、戦争などによりやむなく食生活を変えざるをえなくなって発症した、いわば結果的に生体実験になった記録や史実、統計などがありますので紹介します。
1.
「逆さ仏1」: 長寿学のパイオニア近藤正二博士(故人,東北大学名誉教授)が全国990ヶ村の長命・短命村のその理由を調査. 結果、食生活が主原因と発表. また請われた調査、ハワイ移民二世三世たちが元気な一世より早死にしていた現象を、旧来の日本型食生活から欧米型を好んだ結果、心臓病など欧米的な病気になっていた.
2.
「逆さ仏2」: 長寿村棡原(ユズリハラ)村(山梨県北都留郡上野原町)の悲劇. 古守豊甫博士(甲府市古守病院院長) 鷹嘴テル博士(岩手大学)が同村を40年以上調査. 情報メディアの普及、道路の改善による流通の利便化で食事が都会と同じ欧米型化. 結果、昭和30年代死因のトップだった老衰(90・100才代)が最近では、40・50・60代の息子・嫁の脳卒中・心臓病・ガンといった三大死因に抜かれ10%台になっている. もちろん親が子・孫の葬式を出す逆さ仏状態である.
3.
「保護区で病気になるインディアン」: アメリカ政府がとっている少数民族保護政策により、アメリカ人が理想とする献立の食品を支給され、その結果多くの糖尿病患者を出し、撲滅政策と批判が出た.
4.
「イギリス軍捕虜の病気」: 第二次大戦中、マレーで3年半ほど収容された彼等と全く同じ食事であった日本兵に見られない精神障害が多く発生.
5.
「アメリカ軍捕虜の病気」: 同じくマレーで日本人将校と同じ白米、野菜、少量の小魚の食事でありながら、アメリカ兵の800人中300人に腸内菌の合成するパントテン酸不足で「焼け足病」が発症.
6.
「出稼ぎで発病したイヌイット」: アザラシしか(と言えるほど) 食べない彼等が、デンマークに出稼ぎに来たことで、グリーンランドにはほとんどいない血栓症患者が出るようになった.
他にも、広島からハワイとロスアンジェルスに渡った日系人に糖尿病を発症した人達が多いということで、広島大学医学部第二内科が1987年と88年に40才以上を対象に調査。 出身地の同時期広島在住者(総摂取カロリー数は有意差なし)に比し、罹患率がロスで2倍、ハワイで3倍高かった。 またワシントン大学のW・フジモトらの調査は、ワシントン州の日系人と同地の白人を対象にしていて、罹患率が2倍程度高かった、としています。 ちなみにこの数字は先のハワイ移民と同程度だったことから、日本人が欧米の食習慣を取り入れることは極めて糖尿病の発症率を高くする証拠になる、と言えます。
食生活を変えなくて良かった事例
私達の先人が伝統として継承してきた地域の食生活を実践していたところに、現代の生活習慣病に相当する病例は極めて少ないようです。 それを証明するような、体に適していた生活習慣の話、窮地を救った話、更には病気治療の実績まであった話を紹介します。
1.
「江戸時代の寿命」:立川昭二著「近世病草紙」の文中に「過去帳を調べたところ、江戸時代中期から後期における庶民の死亡の70〜75%を0〜5歳までの乳幼児が占め、60歳まで生きた人の余命は13.8歳、つまり73.8歳となっている」とし、しかも80歳・90歳の高齢者の出現率が、今日より高く、それも江戸時代のどの年度においてもかなりみられる」 としている. いろいろな意見を差し引いても注目に値する数字だ.
2.
「名張の毒ぶどう酒事件」: 1961年名張市で保健所職員を装った賊に農薬入りぶどう酒を飲まされるという事件があった. 被害にあった17人のうち5人が死亡、 11人が七転八倒の苦しみを味わった. しかし、ただ一人浜田能子さんは即座に吐き出してしまったために害にあわず、他の人の介抱役にまわった、というもの. 有害物を味覚で察知し嘔吐する反応は、自律神経が正常に機能しているからに他ならない. 浜田家では永年玄米を常食しているそう.
3.
「ベルツの日記」: ドイツ人医師ベルツが東京医学校(現在の東京大学医学部)に呼ばれ教鞭をとっていた明治9年、人力車夫が一人で日光(約110Km)まで彼を乗せて14時間半で走ったことに驚嘆.(馬では6回取り替えて14時間が普通) そこで彼等の普段の食べ物を調べたばかりでなく、当時ドイツで理想としていた食事を取らせればもっとすごい結果が出るはずと思い、フォイト(母国ドイツの栄養学者)からレシピを取り寄せ、今度は二人の車夫を雇い、その食事に換え毎日80Kgの人を乗せテストしたところ、二人とも疲労がひどくて走れなくなった. 仕方なく前の食事に戻したところ元のように走れるようになったというもの. ちなみに、彼等の普段の食事は80%が穀物中心の炭水化物であった.
4.
「石塚左玄」: 「食養の祖」1851年福井藩の漢方医の長男として生まれ、南校(東京大学前身)化学局にはいり、23才で医師及び薬剤師の資格を取得. 45才陸軍少将、薬剤監で退役後、市ヶ谷の自宅に「石塚療養所」という看板を掲げ、たくさんの人々の治療にあたり回復させた. つまり、食生活を正せば難病も完治することを実践で証明してみせた. 明治40年左玄の主張に共鳴する政界、財界のそうそうたる人たちが「食養会」を結成したこともあって、また東京大学医学部内での研究者や弟子などにより現在全国各地に自然食、玄米食などと形を換えてその流れを残している. 中でも、沼田勇博士は石塚左玄研究第一人者であり、食養実践者として公演活動などで健在である.
この沼田博士が創設した日本総合医学会の初代会長が、東京大学の二木謙三医学博士であり、ナオミ・キャンベルを始めとしたハリウッドスターが多く取り入れている日本でも有名なマクロビオテックを創始した、GOこと桜沢如一は孫弟子にあたります。 この他ミリオンセラー、ベストセラーにもなった「粗食のすすめ」シリーズの著者、幕内秀夫氏は、現在学校給食の日本食化に奔走していますが、元々は病院付きの管理栄養士であり、東京の帯津三敬病院で多くの実績を上げています。 別にも、あいち健康の森センターでは生活習慣病完治に、また下関中央病院ではアトピー治療に成果が見られます。 など。
か、と言って、長寿圏である沖縄の食事が如何に長寿食としてもてはやされても、それは沖縄の地に住む沖縄の人達が食べるからであって、北海道の人達が常食すると、例えば、体を冷やす材料となる水分の多いウリ類が多く、逆に体を温める材料となるデンプン質が少なくて都合が悪いなど、いかに長寿の食事でも、他地域のひとにも良いわけではない。と考えるべきです。 それに第一、食生活を一環境と捉えた時、先の地球生物の歴史に倣えば、当然体の構造が違っているはずです。 次はこの疑問を考えます。
第二部 なぜ食生活の変化で病気になるのか
ほぼ民族ごとに異なった体
私達が毎日「おいしそう」と感じている食べ物でも、またそれがいくら現医学界で健康長寿を保証している食べ物でも、体の成分と比べたら全て「異物」という解釈をします。 なぜならそれらをすり潰して直接点滴にして体内へ入れたら命に関るからです。 つまりこういう意識で食べ物と体の関係を見た時、ヒトの体も食べ物を全くというほど作り変えなければ栄養として吸収利用できない、言いかえれば、人類は人類へ、また人類になってからも、その異物である食物を自分の体と同じ成分に同化させる能力を身に付けられたからこそ現在があることが分かります。 その変換機能は口から始まる消化器官です。
具体的には、
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「小腸の長さ」: 日本で稲が栽培され始めたのが約3,000年前とされ、稲は籾をはずすだけの玄米でも美味しく食べられたことから、明治までの庶民のほとんどが食べ続けてきた.(稗・黍・粟などの穀類も同じ)この場合消化には特に物理的作用が長く強く働くことが必要であり、小腸が長いことは優位に働き、こういう食習慣の永かった、概してアジア地域の民族は小腸が長いため胴も長い. 一方欧州では寒冷地のため、穀物では麦類の栽培に向く土地柄でありそれを食料とした、しかし麦類は重量比3割近くが胚芽やフスマで占め、このままでは極めて食感が悪く、でんぷん部分を取り出した、いわゆる小麦粉を加工した食物の食機会が多くなり、また、それは同時に胚芽部分に多くあるビタミンやミネラルの摂取機会が減るわけで、体調に影響したのか、家畜を飼いその乳や畜肉関係の食機会が多くなった. このことは牛や豚を一辺にまるごと食べられるわけがないので、先の小麦も含めて自然と抽出や分離した素材をもとに作られる加工、料理して食べる食習慣が普通となった. それはまた一般的に消化が早く、そういう食文化に「適合」した体を持つ. (この食文化を多くの日本人が取り入れたために大腸ガンや直腸ガンが増えた、とされている)
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「酒に対して」: 昔から欧州では水が悪くイギリスとスイスの一部でしか生で飲めない. そのため喉の渇きを水分の多い果汁などに頼る場合が多かったが、貯蔵される果汁は醗酵が早くすぐにアルコールになり、そのうまさ酔いの心地良さから常飲される習慣になったと考えられる. そして体を正常でなくするアルコールをアセトアルデヒドに、アセトアルデヒドを酢酸と水に変化させる酵素を分泌できる人達が増え、全体に強い民族になったと考えられる. つまり、酒に強いのはカッコ良いものでも豪傑でもなく先祖に要する2つの酵素を持った個体が現れ、それが優位に増えただけにすぎないわけだ. それよりも日本人はこれらの酵素を持っていないひとが多いのだから、お好みの向きは当然量によって肝臓を壊す割合が高くなるので、能力に合った飲み方楽しみ方を工夫されるべきだろう. また飲み続けることで量に対応できてくるのは、アルコール用でない酵素やこれを糧とする菌が (肩代わりし、例え遠回りをしてでも体に影響のない物質にかえるため) 活躍し、次第に増え強化されたためと考えられる. しかしそれらも先祖に経験のない量であれば、どこかに障害が生まれることは容易に想像できる.
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「牛乳に対して」: これも欧州で水の問題と栄養の観点から常飲するようになった と考えられ、常飲してきた地方では含まれる乳糖をぶどう糖とガラクトースに、ガラ クトースをブドウ糖に転化させる2種類の酵素を成人しても分泌しているひとが多い. 乳で育てる哺乳類の大方は離乳期に入り他の食物を食べ出す時を機会に、これの役割は終わりとし酵素の分泌が止まる. にもかかわらず、たまたま牛乳を飲み続けている欧米のひと達に復活できた能力者?の子孫が多くいるだけで、そういう輩が(いわば)正当な哺乳類の我々に対して「乳糖不耐症」とまるで病人のように言うのは実に不快になる話である. 実はこれの話は、飲みすぎてお腹がゴロゴロといいだす程度でおさまらず、乳酸菌により醗酵したヨーグルトではガラクトースで存在し、これがラットの給餌テストで100%白内障を発症した事例があることを無視していていいとは思えない.
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「大豆に下痢」: (載っていた資料がわからなくなり、記憶だけの話になるが) ずっと昔から食べ続けてきた東洋人に見られないできごとが、食べ始めてまだ歴史の短いアメリカの白人に成分のサポニンで下痢をするひとがいるということだ. ことの他日本では、畑の肉とまで表現し(中には) 救世的な作物として、世界に広げようとしているひとまでいるのだが、花粉症の原因が私達の先祖が多く食べ付けてこなかった卵、肉、牛乳に含まれる経験のない量の蛋白質にあると言われる中で、アメリカでも食べる習慣を提唱しその結果下痢だけに収まらず、別のアレルギーを呼び起こしたらどうなるのだろう.
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「菌種 菌種数」: 私達の体内には100種(300種という本もある)100兆個(1Kg)程度の菌が生息しているといわれている. それを拒否し無菌にすることは(無菌で飼育したラットは普通のそれより長生きした) 技術的に可能であっても、その実行は人生が無味となるため彼等と共生しか選択する道はない. しかしその共生の相手はお互いに刺激しあいながらの100種類のため複雑で、しかも地域で種類数も種類も異なるという代物であり、身近中の身近にもかかわらず、加えて研究の歴史も浅く分っていることは一部に過ぎないと言えるだろう. ただ次ぎのように分ったことは極めて重要な働きであり腸内菌を無視しての健康はありえないであろう. ちなみに一般的に、消化吸収代謝への影響、ヒトに対する不良細菌や薬物・ガン物質への抵抗物質の産生、分解や腸内のPH調整、蠕動運動の活性化などである. また菌種は地域差が非常に大きく、例えばパプアニューギニアの高地部族では49種だが、まるで豆科植物につく根瘤菌のようにタンパク質を供給する菌もいて、食糧の96%がサツマイモなのに筋肉隆々としている. 日本でも都市部では110種類程度なのに農村部では75種類程度などと 地域に深くかかわっている(元来土壌菌だから). しかしどちらにしても、例えば私達の体内に悪玉菌と名付けられた菌達が絶滅もせず生き残っていることについて、病原菌を相手にした時のように体や他の菌が攻撃する姿勢を強化しないなど、まだまだ本当に分っていない事が多い. 従って、現時点で安定した無事故生活を選ぶなら 先祖と同じ種類の同じ割合の菌との共生する道を選ぶべき、ということだけは言えるのではないだろうか. など
つまり、私達が今自由に使っている私達の体のことを、進出した土地の風土に適合したもののみが生き残るという生物の進化の歴史から判断しようとすれば、まず、三十数億年前の地球の生命誕生以来、他生物を食べて消化吸収しエネルギー源とする道を選んだこと、そしてその食べ物とする他生物も、それぞれに変身し進化し続けていることから非常に種類が多いこと、更に、目に見えない100種類、100兆個もの菌が本来は土壌菌であることから、極めて普遍性が高いことなど、私達は同じホモサピエンス、ヒトであっても、当然各民族間では体の消化器官や消化能力は異なり、明らかに違う体になっているわけです。
ですから絡みあうこれらを紐解いて、先祖に経験のない食材を使って新に日本人の食べ物を構築しようとする試みはとても複雑です。
ひとも地球上生物ヒトである以上、その体は、「環境」の一員である「食生活」の影響を大きく受けてきたことがわかりました。 では民族の特質と言われるまで広がるためには、一体どれくらいの長い年月を必要とするのでしょうか?
ヒトの体はどれくらいの期間で食べ物に適合するのでしょうか?
先の「牛乳に対して」のところで、正当な哺乳類では離乳期に失活する2つの乳糖対応酵素について、欧州人にこれを生涯分泌し続けられる人達が多くいる話をしました。 この酵素はあらゆる哺乳類が乳児期まで分泌しているということで、ホモサピエンスになってから新に突然変異で生まれた能力ではなく、元々持っているものなのですが、一つ面白い話があります。 1700年頃、アメリカに強制的に連れてこられたアフリカの人達は、成人になるとこれらの酵素を分泌できない日本人と同じ正当な哺乳類の仲間でした。 そしてあれから約300年を経た現在も、この能力を復活遺伝化できていないことを島田彰夫医学博士(東北大学農学部出身)が「食とからだのエコロジー」の中で紹介しています。
また、誰もが知るように、そのアメリカや南アフリカ共和国、オーストラリアでは、その地の気候風土に適合していない白人が、何世代か前から移り住んでいます。 が、彼らに混血以外での出産で、肌が黒や褐色の赤ちゃんが生まれた話は聞かれません。 これくらいの時間では突然変異はおこらず、白人が白人以外にはなれないことが分かります。 確かに、肌の色などと食生活にかかわる酵素などとは、適合時間が同じであるとは言えないし、また遺伝に関するファクターは体の内外含めてまだ他に多くあることで、一概に何時適合できるか分からない、いえそれ以前に何も分かっていない、と言ったほうが当たっているのかもしれません。
ただ、一つ言えることは、今の日本の食生活に偶然にも、突然変異でその形質を持つ子が今、産まれたとしても、「日本人が適合した」と言えるほど増えるためには、その子の遺伝子を持つ子孫により増えることが一番的確で確実な広がり方であるのですから、それだけでも気の遠くなるような長い時間を要するわけです。
では、希求してやまない私達日本人の体に合った食生活などあるのでしょうか? またあるとしたらそれは一体どのようなものなのでしょうか?
私達日本人に合った食生活とは?
この疑問には、先の「逆さ仏」の話で紹介した「棡原村」であるとか、「江戸時代の余命」の話を重要視する価値があり、有効であると考えています。 なぜならば、江戸時代の庶民に今で言う生活習慣病は例外的と言えるほどしか見つからないこと、更に、実質成人してからの平均余命は現代人と遜色がないばかりか、健康であり長寿であった記録がほとんどだからです。 ただ、平均寿命が60歳くらいと現在より低いのは、現代とは真逆となる社会環境、食料の慢性的不足により、母体が栄養不良となっていたことを主因とする、感染症による乳幼児の死亡が多かったことによるものです。 また、「健康」という言葉自体が、江戸時代末期の緒方洪庵か高野長英の創作による造語であり、それまでの「丈夫」だとか「達者」などという主観的な言葉で用が足せた、つまり「必要としない言葉は生まれない」という言葉の持つ特質からもそれは伺えますし、更に、医療技術が現代医学の足元にも及ばない時代であったことも加味すれば、江戸時代の私達の先祖は実に健康長寿であった、特に地方の庶民がそうであったことを否める要素は何もありません。
そして、先に話した遺伝による体の変身が、わずか100年程度では起こらないはずですから、ほとんどの日本人は、江戸時代の体と同じであり、その当時の食生活に最も適合している、と推測できます。 従って、その食生活とは、奈良時代にほぼ食材は出揃い、調理法もほぼ完成し、その後大きく変わっていないということから、(もちろん食材によってはそれ以前から食べていたものもありますが)江戸時代の田舎で普通に見られた「旧来の日本食」である、ということになります。
では、私達の先祖は、どのような食べ物の歴史を持っているのでしょうか?
第三部 日本人は何を食べてきたのか?
歴史の史実に基づいて
先祖が普段何を食べていたのかを知る方法は、古文書のなかの食べ物に関する記事から知る方法と、貝塚から出土する土器や動物の骨、プラントオパール(植物が地中から養分を吸い上げるときに地中最多の元素のケイ素が混じる、使えないそれを植物は最小体積である結晶=ガラス状にして貯蔵する. ちなみに稲はイチョウの葉の形)などから素材と調理方法を特定します。 で主な狩猟及び採集素材と食用栽培植物をほぼ渡来順にあげます。 (日本原産で栽培植物になったのは、うど、せり、みつば、ふき,わさびくらいで、その他はみな渡来種です)。
古代人(4500年前 縄文時代中期)は豊富な海産物(魚介類・海藻類)、獣・鳥、木の実などの他に原始栽培でクリ、ジネンジョ、ユリなどを食糧としていました。
その後、南方からヤムイモ、タロイモ、大陸からヒエ、アワなどの雑穀が加わりました。 そして、稲がおよそ3000年前の縄文時代後期に南方の民が携えて海から島伝いに渡ってきたと推定されますが、本格的に栽培されたのは、約2000年前の大陸の難民に押し出されるように渡ってきた朝鮮半島の民(一般に弥生人と呼ばれている)によります。
その他縄文時代の渡来種は、コンニャク、ヒョウタン、ゴマ、キビ、ソバ、ダイズなど。
そして、弥生時代から奈良時代までに伝わった野菜はダイコン、カブラ、ニラ、ニンニク、ネギ、ショウガ、レンコン、キュウリ、ナスビ、クワイ、チシャ、エンドウ、カラシナ、トウガン、ニンジン、ササゲ、タケノコなど、また穀物はコムギ、オオムギなど。
また縄文時代から奈良時代までに伝わった果実はモモ、ナシ、ウメ、スモモ、ビワ、アンズ、ザクロ、ナツメ、リンゴ、ブドウ、イチョウなどが確認されています。
しかし、野菜の本格的な栽培は奈良時代からで、それ以前は野山に生える前年のこぼれ種で育った物を収穫していたようです。 食べ方は生食・煮る・焼く・蒸す・茹でる・なます・羹・漬物・梅干などで、調理方法は現在とほとんど同じであったと言います。 つまり、この時代で今私達が食べている料理の調理法 若しくはその原点が見られ、まさに日本食の基本が出来あがった時代 と言えそうです。 調味料は、酒、酢、醤、塩、糖を既に使っていたようです。 塩は海水からとり、糖はハチミツを主に使っていたようです。酒、酢、醤はいずれも醗酵工程を経て作られた調味料であるところが、当時の人々が特異な日本の風土の中ですばらしい好奇心と研究心を持って作り上げたすごいところです。 ついでに当時の醗酵を利用した食品を現在の何に相当するかを紹介しますと、
1.土器の中で煮豆が醗酵 → ワラつと納豆 → 糸引き納豆
2.魚や肉をご飯の中につけて醗酵 → なれ鮨 → 握り鮨
3.穀物が醗酵 → 清酒・焼酎など
4.醤(塩と一緒に漬けたものが醗酵)
草醤(野菜・果実など)→ たくあん・ぬか漬けなど
肉醤(魚介類・肉など)→ 塩辛・ショッツルなど
穀醤(米・ダイズ・麦など)→ 味噌・醤油など
以上こういった定着した穀物、野菜、果実、魚介、海藻、醗酵物などが、先祖の食生活を彩った食材です。 (ただし当時と同じ品種、栽培方法、食べ方が前提)
逆に、食べつけてきたと言いがたい食材、食品であることから、私達の体がまだ完璧に消化吸収や無毒化処理できない可能性があるとして、常食としたり量を多く食べたりしないことをお勧めするものをあげます。
1.
「畜肉 畜肉加工品」: 仏教思想を政治に利用したことから、675年殺生肉食禁止令が発せられ、その後の日本人は肉を食べていない.(どういうわけか鶏や魚、魚の類とされた鯨が許され、また猪を山鯨、兎を1羽と呼んだ記録から見て一部の人達は食べていたようだ が、ならせばほとんど食べてこなかったと言える量)
2.
「畜乳 畜乳加工品」: 天智天皇の時代に蘇・酪・醍醐という言葉があったことからも牛やヤギの乳やその加工品を食べていたことは事実. しかし、食料事情というもっとも切実に直面する理由と武士階級の台頭により牧はほぼ壊滅した. 次ぎにこれらが食べられるのは江戸時代中期以降であるが、まだ将軍などの特権階級だけであった. どちらにしても大事なことは、今を生きる私達日本人の成人のほとんどが乳糖分解酵素 ガラクトース転化酵素を持ち合わせていないことにある.
3.
「酒」: 日本でも酒が古くから飲まれてきたことは間違いのない事実である. しかし、先祖はこれを「ハレの日」の食材として扱い、一部の武士、公家以外通常常飲する人達は少なかった. 欧米人に比べ多くの日本人は直ぐ顔などが赤くなったり(アルコールが酵素の働きで分解されたアセトアルデヒドによる次ぎの酵素を持たないため)その物質を異物と判断する反応、悪酔い、嘔吐、酩酊などで苦しむ.
4.
「単糖類 二糖類」: 代表的な砂糖は中国から伝わった時、即時に消化吸収される性質から疲労回復薬として使われた. しかし当初は高価なため一般にまで普及しなかった(江戸時代四国や九州で作られた三温糖も上級武士、町民がたまに食べられる程度で、一般に普及したのは昭和時代に入ってから)し、古くは蜂蜜や柿・ブドウなどの果実でとられたが、それらは季節性があったので保存食にして少しずつしか消費できない貴重品であったために常習的に摂られることはなかった.
5.
「その他」: パン・チョコレート・ケーキなど抽出や分離した素材を原料として作ったものなど加工食品は、保存、嗜好や原料過多などひとの都合で作られており、特に嗜好性を重視したものは、私達の「美味い」と感じる感覚を刺激する物質を利用して作られるもので、全く私達の先祖の体に経験のない物質や、バランスの異なった成分となっている.
また,先祖が食べ初めて3〜400年以内のため完全に栄養化 無毒化処理できると名言できないが、これらを原因とした病気を見つけられていないので、毎日大量に摂らなければ問題ないと考えられる食材として カボチャ・タマネギ・トマト・ジャガイモ・トウモロコシ・ブロッコリー・キャベツなどがあります。
これらの話から、食材の名前は分かりましたが、例えば今スーパーに並んでいるキュウリ、今までの話のそれと同じなのでしょうか? そういう食べ物(食材)の違いと、食べ方の違いを紹介します。
第四部 今を生きる日本人は何をどう食べればよいのか?
食べ物
かつて私達の先祖が食べていた物とは、一口で言うならば、「健康に育ったもの」となるでしょう。 なぜならば、江戸時代のそれは環境汚染もなければ、栽培方法も作物の生りにあわせて収穫してきたからです。 従って、私達の食材として最ものぞましいのは、農畜水産物のいずれも健康に育ったもの、これがまず前提になります。 しかし農業は穀物、野菜、家畜のいずれにしても戦後激変しているし、魚などは養殖も出まわるばかりか、たとえ天然であっても化学物質を代表とする異物質の拡散は陸海空のどこにも多くあるわけで、江戸時代と全く同じ、と言える食材が一般に入手できるためには、環境問題も同時に解決して行かねばならないことを、あえて申し上げます。
1.
農作物a「循環農法であること」: 植物は大気中の炭酸ガスと地中の無機物を糧に太陽エネルギーを使って各種の有機物を産生する. それを主に大動物が糧とし、糞、毛、死骸などを産生する. 更にそれを主に小動物や微生物が糧とし、無機物を産生することで地球上は循環し(一切の滞留物はなく)全ての生物が健康に生育することができる. そういう循環の農業を江戸時代までの日本ではなされていて、その成果は稲の栽培を始めて2000年以上使っても土壌が疲弊していない. 特にひとにとっては、必要な栄養成分は排出からも失われるので作物に再吸収させるこの方法が非常に有効であり 微量ミネラルといえども欠落する比率は少ない高効率な方法と考えられる. 結果化学製品(農薬・肥料など)を減らせる. 子孫に良い状態で譲りわたせる. など実にしなやかな自然との関わりでもある
生産者
主に植物: 葉・根・実・花・茎などを生産
還 元 者 消 費 者
主に小動物や微生物:分子状態に還元 主に大動物:毛・垢・糞・爪・体などに変換
「食とからだのエコロジー」島田彰夫著
2.
農作物b「露地栽培であること」: 作物も生物であるから、彼らの適合した生活環境であるはずの露地であれば、当然作物も健康に育つはず またそれは最も少コストでもあり、食べる私達も先祖がそういう食べ方をしてきた(除穀物)以上、それに則した体になっているはずなので最も適した食材と言うものになる. 逆にハウス栽培などでは作物の適合した環境を人工的に再現させなければならないわけで、その手間を省くために化学肥料や農薬に頼りたくなるし、健康な作物と言いがたい.
3.
農作物c「種のできる種で」: 現在日本で採用されている種のほとんどがアメリカで開発製造されているもので、多収量、耐病虫害や遺伝子組替えをして特定の農薬に強くなるように. などの開発目的で生まれたもの. 問題はその開発方法で、既存の同種間の交配による正常な遺伝子交換で生まれた突然変異の優良品種ではなくて、先に紹介したレオポンやラバと同じように、近縁種をかけあわせた子孫のできない新生物であること. つまりこのことが私達の体に、どのような刺激を出すのか分からないことにある. あくまで安全安心を求めるなら未来永劫子孫のできる品種である先祖の伝承種を選ぶべき.
4.
農作物d「地産地消であること」: 種が同じでも土地が変わればできる作物も異なる. 例えば土壌成分の違いによるなど、生物はその地方の気候風土の特徴を取り込むようになっているから当然同じに成り得ない. それに私達の体内の腸内細菌が土壌菌に由来している以上、作物を通して別の菌を取り込むことの未解明の世界がある. また海外など遠隔地の作物は、先の意味に加えて、生物の特質として収穫直後から追熟がし、つまり自己消化し成分が変わる. 私達の先祖は稲も玄米で保存したなど、調理の寸前まで生のあるものとし、極力死物を食卓に上げていない.
5.
農作物e「先祖が昔から食べている作物」: 作物を成分分析して日本人にだけ害になる物質を特定する研究はされていない. また急性毒性を示す物質の研究は進んでいるものの、慢性毒性への研究調査は遅れているし、まして幾世代も視野に入れた「食生活が遺伝に及ぼす研究」などはされているのかどうかすら分らない. だから、例えば生理的に好影響を示すビタミンCのような成分が多く入っているだけで他地域の伝統食材でも「良し」とされる傾向があり、未経験の成分だとかその量、バランスの違いによる弊害などで体に無害とは言い切れないのに、まるで推奨品のように扱われている. その実体は、まるで現代人を使って未来のひとのために生体実験をしているとさえ取れる. だからもし、食生活による病気を懸念されるなら先祖のそれに倣うことのみが、私達が今取れる安全を選ぶ場合の選択肢.
6.
農作物f「道路 工場付近の土壌でないこと」: 車の排気ガス、タイヤの磨耗物質やアスファルトの粉塵、つまり発ガン性が指摘されているタール系色素(黄色4号など)と同根物質がもっと大量に耕作地に流入してしまう. これらは急性毒性に併せて、作物にとって経験のない物質である.
7.
農作物h「農業の機械化による弊害」: 換金物質にしか農産物が見られなくなったことにより省力化、効率化が優先され、物質の循環や作物の生理を二次的三次的扱いにしたために、ひとの食べ物として再考の必要を感じさせる結果が出ている. 例えば稲籾の機械乾燥により玄米の発芽率が20%以下に(天日乾燥は80%程度). 米は通年に食されるのに、収穫時に即「死に米」となっていて、先祖に経験のない状態.
8.
農作物i「肥料」: (科学肥料は言うまでもないので割愛) 有機栽培に欠かせない有機肥料、今のこれの素は当然家畜の排泄物が主流. ではその生産側の畜産家の裏事情はというと、家畜は彼らの資産であり、少しでも長生きをさせて産生物を出し続けさせることがこの業の成否になっている. そこで添加される化学物質は言うに及ばず、人(食料)、家畜(粕・餌)、肥料(屑・排泄物)の順で品質の落ちる有機物の取り扱い基準は、逆に言えば、その有機物の生産段階における農業などの化学物質が作物、家畜と次々に濃縮されて、その頂点に私達がいて蓄積され、更にそれが赤ちゃんに移る図式になっていること.
9.
海産物「天然物であること」: 食べつけてきたのは近海物(鯛・鰯・秋刀魚・鯖・鯵・渡蟹・車えび・若芽・海苔・あさり・しじみなど)である. ましてひとの作った餌で飼育された養殖魚は病気や栄養剤や抗生物質が残留する可能性を否めない. そういった化学物質は先祖の経験のないものであり、私達の無意識の世界である生体内でこれを無毒化する反応が如何なものか分らないことに不安を持つ.
10.
畜産物「生物本来の成長環境である」: 慣行飼育で市場に導入された豚の80%が何らかの病気になっていた.(築地
1980年)という記録もあるように、牛・鶏・牛乳・鶏卵も病気や薬剤の残留の可能性が高い. もっとも先祖が常食していなかったこれらをたくさん摂らない注意が大切. いずれにしても牛骨粉などを常時与えることには、彼らの食性に因んでいないわけだから、良いはずがない.
11.
塩「海水塩である」: 単純に海水を乾燥した塩であること. 私達の先祖はこの塩を食べてきた. 本物の海水塩はアサリの砂抜きをすれば盛んに水を飛ばすからすぐ分かる. 岩塩だと死んでしまう場合がある. など.
食べ方
健康であるための食べ方はひたすら先祖のそれに倣うしか方法はないので、それを羅列します。
1.
「一物全体食」: 米なら玄米、魚なら頭から尾までを一時に食べるようにする食べ方. 私達の先祖は未精製(特に主食とされる米を始めとする)の穀物全般を食べるのに都合の良い、消化吸収できるような腸の長さや分泌される消化酵素の種類や量を分泌する体であったことから、その食べ方が向いていると言える. 従って今や主流となっている抽出や分離した食材が体内に入ってくると、栄養の過剰や不足の事態がおきる可能性を高めてしまい生活習慣病などの弊害を生み出す. しかしいくら一物全体食をすると言っても、また、先祖が食べてきた食材と言っても、例えば大きな魚を一時には食べられない. いや先祖も食べられなかった. つまりそういう食べ方の体になっているのだからそれに倣うことが肝要 つまり米を籾のままで食べたり何が何でも一匹を一時に食べたりしようとすることは、決して私達の体に良いことではない、むしろこの言葉を独り歩きさせてはいけない.
2.
「旬の作物」: 夏にひとの食欲が減退するのは、冬のように体温を上げるためのデンプン質などのエネルギー源が少なくて良いことが最大要因である. 併せて夏痩せをするのも自然の現象からすれば暑さを凌ぐのにも都合が良いからだ. それはまた、生物である作物も同じで夏に旬を迎える作物は、体内に水分を多くして温度調節をしやすくしていると考えられ、結果的に食べる者の体を冷やすのにも都合が良くなっている. またその時期そういう作物を食べたくなるのも体が持つ記憶のせいだろう.
3.
「よく噛む」: 私達の先祖は玄米や雑穀といわれる作物をそのまま「ごはん」などに調理して常食としてきた. これを粒食と呼ぶのだが、当時のひとはさぞかしよく噛んでいたのだろう. と言うのは、噛まずには実に呑み込み難いからだ. 食養家たちは、通常一口に100回噛むように言われるが、(私は30回くらい) 実は噛むことは粉すことよりも分泌される唾液に重要性があると言え、例えば発ガン物質の一つ焦げた魚の皮に含まれるベンツピレンも30回の咀嚼で出るペルオキシタ−ゼでほぼ無毒化できる量になるほか、リゾチーム(溶菌酵素)、ラクトフェリン(細菌の発育抑制)、IgA抗体(生菌攻撃物質)など10種類以上の物質が含まれているからだ. また、脳神経を刺激して脳を活性化するおまけまで付いている.
4.
「穀物を主食」: ブタやイヌは体内でビタミンCを作ることができる. ヒトやサルは食物で摂るようになったためか作れない. ヒトのダ液はアミラーゼ活性「炭水化物分解酵素」が高く(ねずみも高く、牛は弱く、馬にはない)これらからヒトが穀物をたくさん食べ続けてきたことがわかる. なかでも日本人は玄米を食べる機会が多かったわけだから それを主食にすることが望ましい. 少なくとも分搗き米に米糠を使った副菜(野菜や小魚の糠漬けなど)を一緒に摂るように心がけたい. など.
この項と先の項を合わせて奈良時代から明治維新以前までの庶民の食卓がほとんど内容に変化が見られないことから、私達の体に間違いを起こす原因とならない食材と食べ方であろうことが推測される。 また日本人の理想食を考えた時、つまり永く食べられてきた先の食材を使った食卓とは、(一例として)「玄米ごはん」「豆腐とワカメのみそ汁」「小松菜のゴマあえ」「きんぴらごぼう」「めざし」「糠漬け」などが考えられます。 (今はこれらを基本としてメニューと調理の工夫をすれば良いと考えられる) また、前述の沼田勇博士の治療食メニューと酷似していることも当然といえば当然でしょう。
次の疑問は、どうして100年そこそこでこんなにも食生活が激変してしまったのでしょうか? また、どうして日本人はこの食生活を受け入れたのでしょうか? いいえ生活習慣病が食生活の欧米化が原因だ、と言われているのになぜ戻さないのでしょうか?
第五部 二度と不幸な歴史を繰り返さないために
なぜ理想的な旧来日本食を放棄したのか?
戦後、自給率、食用家畜の飼育数、家庭内及び外食での和食比率など、人口変動を考慮に入れて実数を把握するまでもなく、戦前とは比較にならないほど日本の食生活の変化が、普通に生きているだけで分かります。 更に、今もグルメ番組、雑誌など多々あり、変化し続けていることから、「一文化の崩壊」、それほど根が深いと考えなければなりません。
従って、日本から食を原因とする生活習慣病を減らし、なくそうとすれば、日本人がどうして他民族の食生活を受け入れ続けるのか? その理由を解明しなければなりません。 そしてそのためには、日本人とは何か? どんな質なのか? どのような文化の中で暮らしていたのか? などという疑問から考えてゆく必要があります。
食に限らず、日本人の基本的な生活習慣は、常に自然に逆らわず、かわして利用し快適な方法を考案し伝統にしてきたところです。 例えば、気温と湿気に格段の差がでる四季があり、地震に火山 台風とこれほど多彩な悪条件を持つ土地柄でありながら、1000年以上ももつ建築物を作ってしまうなど「衣・食・住」のどれにおいても「しなやかに自然に順応する技」を磨き、また尊びました。 そういえばあのペリーが日本に来て初めて江戸の町を見た時も、街の清潔さや身に付けている服の色合いの奥深さからくる文化の高さに驚嘆したと言います。 (確かに発展途上国では原色の使用が多く目に付きます)。
そして社会を構築するについては、わざわざ言葉や書類にしなくても皆が常識として備えていた「当たり前の国」をめざしていたと言えます。 つまり、生活の基本(衣食住や子育ても一般常識として)は家長制度や、そして「消防団」、「自警団」などという地域組織のなかで、自然と長兄は後輩の面倒をみる順繰り、家族以外にも地域の固い連携ができるなど、世に出る前にすでに普段の生活から自然に身につけられるよう仕組まれていました。 だから夜女性が独りでも出歩けるほど安全だったという、世界でも稀有な社会を日本全国に展開できていたのです。 まさに先祖の経験を大切に築き上げた一つの完成域にあった社会と言えます。
ではなぜそれがいとも簡単に崩壊してしまったのでしょう? それは「家風」、「我が家の味」、「祭り」や「祝い事」、「怖い昔話」などという「行事」や「決まり事」をつくり、伝えたい「思い」を「置き換えられた」表現で表してきために、その理由が伝わりにくい欠点があったからだと考えています。 それに昭和に入って時代が追い討ちをかけました。 この理屈を持たない伝承は、特に戦後の核家族化により先達(両親、祖父母、地域の長兄など)からの情報提供の機会を失ったこと、政府やメディアによる欧米の豊かな(部分の)生活と、すべてを契約で処理することを、最も正当化した資本主義の理念として、こともあろうか教育の場でも見せつけられた時、それは極めて脆かったのです。 その様はまるで糸の切れた凧のように無分別の世界に落ち込んでいったように見えます。
一つの目的のために変革を実行すると、必ず目的以外の事が(複数)引きずり込まれ、場合によっては元も子もなくすような重大な事態を招くことがあります。
今回の食改善(?)はそれに気がついていませんでした。
明治に入って「日本人の体格が欧米人より劣っている説」とか、戦争直後の「米を食べるとバカになる説」「栄養が偏っていて細菌病に罹りやすい説」が風説となりました。 紛れも無くそれらを肯定した結果の現在であるわけです。
生活習慣病は食生活の欧米化が原因だ。 と流布され、承知していながらなぜ戻そう、という意識が働かないのでしょうか? またこのように根の深い問題を修復する方法などあるのでしょうか?
どうすれば再構築できるのか?
この場に及んで定着した正循環にする最速にして的確な打開策などあるのでしょうか? その前にどのような社会がより理想に近くなるのか整理します。
1.
「農産物a」で述べたように、他の生物との共生がなければ自らの存在もありえないことから、ひとではなく地球の循環を優先すること
2.
使っている体が、江戸時代に極めて適合した状態であった、ということを理屈で知り、それを維持すること
3.
これらが普段の生活の中で「当たり前」に持ち出される文化になること、
でしょうか?
そしてこのことを一人一人が理解すること、このことが大事です。
そこで一つの提案が「健康村」構想です。
「健康で持続可能な社会」を世界中でいろんな立場の人達が唱えています。 しかもそれを「当たり前」の文化になることを目指そう、というのですが、実際には理念ばかりが先行し、現実の生活の中では実に実行し難いものです。 それでまず、こういう理念を持つひとが集まって雛形になる「村」を作れないだろうか? と考えたわけです。 そうすれば何時でも目の当たりにでき、加えてより多くのひとにより効率的かつ迅速に普及する宣伝効果を期待できると考えるられます。
具体的には5〜10万人規模を目指す必要があります。 その理由は
1.
衣食住に関わる生活用品のほぼ全てを村内若しくは委託製造によりオリジナルの工業化することで一般普及可能な価格にできる
2.
私立校の運営ができ、子どもの頃からそういう環境に浸る
3.
実験地として社会に提案する商品の開発地になれる
4.
村外の企業で開発された商品でも鋭意導入することで育てる働きができるなどなど
ただしその村とは
1.
誰でも理解できる理屈であること。
2.
より多くのひとの納得が得られ指示があること。
3.
高資本を必要とせず個々の普段の生活で示せることと考えます。
そしてその実現のためには、ひとの衣食住に加え安全、安心、健康、他生物との共生に関わる全てのソフトとハードに渡って、誰もが何かしら持っている思いを持ち寄ることからしか始められない、と考えています。
今何かをしなければ、明日に希望が持てないまま子供、そのまた子に渡してゆくことに歯止めをかけなければ、と思い、思いつくままに考えました。
まとめ
数十億年前、この地球に「生きる」ことを唯一印された生命が誕生し、その後生き長らえるために「子孫を残す」因子を備えた生命は、次ぎはより優位に生きるために「変身」することや「他生物の生育を阻害する物質を作る」こと、「他生物の成分を自身の生命活動に利用する」能力などを次々と身に付けてきました。 その様は壮絶で「寿命を受け入れる」ことすらもいとわないものでした。 それにつれて環境も彼等が排出した様々な物質、例えば酸素などに起因して、地球はどんどん宇宙とかけ離れた空間を持つようになりました。 加えて地球本来の活動もあって、宇宙からすればまさに稀有な空間、それも極めて地域隔差の大きな星となったのです。 その地域隔差は世界中に散らばった生物に夫々に影響し様々な姿形を見せてくれています。 そして、さらにその生物達も後に入ってきた生物達に影響する地域隔差の一員となり、三つ巴、四つ巴を続けているわけです。
私達ひとも紛れもなく地球上生物ヒトであり、それも今から少し前に誕生することができたことで、膨大な生物の変身の歴史を遺伝子に残しながらであることで、非常に多くの能力を持っている反面、非常に狭い限られた空間でしか生きられない繊細さと、かつ他生物と絡み合う関係の中でしか生きられないひ弱さを兼備えていると言えます。 つまりヒトにも肌や瞳の色のような外見を始めとして、食に関係する内臓そのものが違っていたり、消化酵素の有無があったりなどの機能にも地域隔差が出てしまったわけです。 あわせて当然それは私達の食の対象となっている生物全てにも言えるわけで、地域隔差があるものです。 ですから、ヒトを同一視し作物も同一視する食のグローバリゼーションを肯定することはできません。 「ひとも地球の歴史の過程の中に居る」これが真実の姿と言えます。
私達が今使っている体は、紛れもなく両親からの形質を受け継いでいるし、その両親もまた夫々の両親の形質を受け継いでいる、つまり、食生活に限れば、私達日本人のそれは、幸いなことに、奈良時代にほぼ完成し明治維新まで、およそ1,300年間続いた食生活、これにあっていると言えます。
肥満のひとを恰幅が良いと言い、疲れやすい、肩がよく凝ることを年のせいにして、便秘も肌荒れも女性なら誰しもと思っていませんか? これらは皆漢方でいう未病の症状で 生活習慣病になりますよ という体からの警鐘です。 原因のほとんどが食を始めとする生活習慣です。 例えば摂取したカロリーをビタミンやミネラルが足らなくてエネルギーに変換できず細胞内に蓄積してしまう いつまでも変換できないからエネルギー不足になりまた食べる この悪循環のために肥満や不良物質の蓄積で血液が流れにくくなるから先の症状が出る という図式です。 私達には幸いなことに戻れる場所(食生活)があるのです。
今の地球上を注意深く観察すれば、大雑把に言って無機物、炭酸ガスに太陽光線を使って有機物を産出する草や木があることで大動物は生命を維持でき、そして彼等が産出する「糞」「ふけ」「垢」「毛」「体」などを食べるダニなどの小動物や、微生物達の生命活動によって無機物が産出され、それを植物が利用するという循環で成り立っていることがわかります。 結果どの先住者の存在も否定すれば、自身の存在をも不可能になるわけです。 別の見方では、地球上で最も後輩の代表のヒトがいなくても、それまでの地球も疲弊することなく循環してきたわけで、むしろひとが地球であらゆる生物が存在していたから誕生できた生物でもあることから、環境が変われば、間違いなくもっとも絶滅しやすい一群に私達はいるということを忘れてはいけないのです。 しかし例えば、間違いなく自然破壊である農業をしない限り増え過ぎた人類を支えられないわけで、少なくともあらゆる生物が関与できる循環型農業を心掛けるべきです。
人類は自分達をあまりにも特別視しすぎたのではないでしょうか。 時には傲慢で独善的にも見えます。 害虫に益鳥、醗酵に腐敗、自然を正視する目を閉じさせる、生物であることを忘れさせる数々のひと中心の思想。 もっと謙虚に自然を学び、目一杯楽しみを追求しながらも自然循環の枠組みからはみ出さない工夫を優先するべきでしょう。
科学的に処理される廃棄物と言われる他生物の生きる糧、もう一度見直し個人で無理なくできることから取り組む時代になっている。と考えています。
おわりに
今では学会も認めた「ダーウィンの進化論」。 彼のその理論に大きく影響を与えたのは、かの有名なガラパゴス諸島の「ゾウガメ」であり「イグアナ」であり小鳥の「フィンチ」でした。 でもよくよく考えてみれば、どうやってダーウィンは南米北西部に位置する離れ島に参考になる生物達がいることを知ったのでしょうか? いえそれ以前に「生体は変身する能力を持ち、結果環境に最も適合した個体が生き残れる」ことをたった独りで思いついたのでしょうか? もちろんそのようなことはありません。 彼がガラパゴスを知り、行こうと思い実行したのは、ケンブリッジ大学の恩師ヘンスローの勧めがあったからです。 そしてその恩師も現地を知る旅人の「うわさ」を耳にしていたからです。 またこの理論も、多くの事例を集め、既にかなり理論化した見解を持っていた研究者も多くいたことで地盤は築かれつつある時代だったということも分っています。 大事なことは、不思議に感じたことを幼稚の域を出ないまでも仮説とする思いつきがあり、それを言葉にし、行動にすることで「うわさ」となり、さらに多くのひとが同調することで「研究対象」となり真実が見出されてきたという歴史の事実です。
また今日私達が自由に思いつくがまま真実を摸索できるのも、例えば世間が全く異なることを常識とした時代に命懸けで、しかも毅然とした姿勢で「松下村塾」を開いた吉田松陰や、21世紀の今日になっても、まだたった一人の地球人も実像で見たことのない太陽の周りを周る地球という真実を、迫害されることを承知で、命を賭して打ち明けてくれたコペルニクスのような偉大な先人達がいたからです。 しかし残念ながらの現在は、相変わらず苦しみにあえぐ人達がたくさんいて、それは必ずしも真実ではないことが正義としてまかり通っている姿であることは明白です。 一万年後のこの地球に人類がまだ君臨できているとしたら、このように未来に対して足を引っ張り続ける今の私達の生き方をどう思うでしょうか? 繰り返すようですが、真実を探求できる前提となる理論が真実でなければ、確かな未来は絶対に築けません。 私達はこういう先人の辛苦、努力の賜物、真実の積み重ねを利用して今を便利に生きられている、ということを忘れてはいけないのです。
京都大学総長も務められた井村裕夫医学博士は、著書「なぜひとは病気になるのか」の冒頭部分で「病気の原因と、その成立の過程を明らかにすることは、医学にとって大変重要な課題である。それによって、正確な診断方と、適切な予防・治療法を確立することができるからである。しかし、医学が問い続けてきたことは、主にどのようにして(how)
人は病気になるかであって、なぜ( why)という問いへの答えではなかった。なぜという問いかけへの答えは仮説になってしまうことが多いので、医学はむしろ避けてきたとすら言える。」と述べています。 これは,現医療が片手落ちになっていることを指摘するものですが、更に「近年の進化生物学の進歩によって、生命進化の道筋が明らかになりつつあり、(中略)それによって、病気の成因への新しい理解が可能になってきたのである。(中略)このような進化医学は生命の進化という立場から、病気の成因や成立機構を解明し、対策を立てようとする新しい分野である。」とし、「進化医学」の必要性を述べています。
確かに、この「ヒトの食べ物、日本人の食べ物」も井村博士の言う(why)であり仮説の域を出ない話です。 しかし、ご覧頂きましたような「食」を第一原因と考えられる数々の事例を見るならば、そして今心身ともに苦しみあえぐ多くのひとがいて、更に将来に渡って多くの人達が被る不幸の回避を目論むならば、(可能性がある以上)医療の現場、地域、集団給食などで伝統的食生活を利用する価値はあると思います。 そして実践されたデータを未来に残すならば必ずや証明に結びつくと考えます。 いやそれ以前に、こういう事例が数多くあることを、まず広く一般が知る意義は大きいと思います。
参考図書
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「病は食から」 農山漁村文化協会 ¥1,260.- 沼田 勇著 北里研究所出身 医学博士 日本綜合医学会設立 明治の初めころ活躍した食養の祖石塚左玄研究第一人者 左玄の食養という日々の食生活で不治の病をも治癒させたことを現代医学から検証し(お金にならない医療ながら)、自らも実践し多くの患者を救っている実例を紹介
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「日本の長寿村・短命村」 サンロード出版 ¥900.- 近藤正二著 東北大学名誉教授 医学博士 故人 40年以上かけて日本の990ヶ村を調査し長命・短命の理由を食生活の違いにあると提言 また、健康長命は緑黄色野菜・海藻・大豆などの摂取によって適えられることを唱えている
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「長寿村・短命化の教訓」 樹心社 ¥2,000.- 古守豊甫 鷹嘴テル共著 古守豊甫古守病院院長 医学博士 60年以上長寿村棡原村の医師として村民の健康を見つめながらその健康長寿の原因を食生活のなかにあると探りあて紹介 鷹嘴テル 岩手大学教育学部食物学教授 医学博士 古守博士と共同で棡原村を栄養学の観点から調査し、特に胎児から老人に至るまでの生涯栄養という見方にはこれからの日本人の食生活を示唆しているよう
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「食とからだのエコロジー」 農山漁村文化協会 ¥1,700.- 島田彰夫著 東北大学農学部出身 医学博士 ヒトが何を食べるべきかを生物的見地から食性という表現でとらえ 現在のあやまりを証明する形で紹介
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「今の食生活では早死にする」 経済界 ¥825.- 今村光一著 早稲田大学英文化出身 医学、農学とは縁の薄い文科系でありながら、翻訳や医学文献を収集しているうちに日本の食生活の間違いに気付き、欧米の例日本の例をあげ紹介 1977年アメリカのマクガバン報告の翻訳は衝撃的
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「検証!くらしの中の化学汚染物質」 講談社現代新書 ¥693.- 河野修一郎著 鹿児島大学工学部出身 使用目的のためだけに開発されたサイクル無視の化学物質が、大気中、地上、地下水、海中に広がっている実態を紹介
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「近世 病草紙」 平凡社 立川昭二著 江戸時代の病気と医療を紹介
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「粗食のすすめ」 新潮OH文庫 ¥562,- 幕内秀夫著 病院付管理栄養士 「粗食のすすめ」東洋経済新報社刊はベストセラーに 病気治療は医術だけでなく食生活(特に生活習慣病は)が大切であることを唱え実践 カタカナ食品からひらがな食品に戻る事を提唱
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「料理本『玄米がおいしい』」 オレンジページ ¥1,500.- マクロビオティック(日本CI協会=欧米に玄米ブームをもたらした桜沢如一が創始)的 彩り、味わい楽しく食べられる料理本 やせる、肌がきれいになる、健康を主題にして紹介
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「食べ物古代史」 河出書房新社 ¥420.- 永山久夫著 食文化研究家 古代日本人が、狩猟の肉食から何時頃 稲を食べ始め主食にし、朝鮮半島を経由して次々に伝えられる野菜をとりこんでいった様子を紹介
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「食べる日本史」 朝日文庫 ¥480.- 樋口清之著 国学院大學大学院出身 文学博士 日本風俗史学会 日本博物館学会 各会長を歴任 著書「梅干と日本刀」「日本女性史発掘」など 物を食べるという日常的な行為こそ、生活の基本であり、文化の出発点であると考える学者が、食べる事を中心にすえて日本史を考察
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「梅干と日本刀」上、中、下 祥伝社 ¥380.- 樋口清之著 同上
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「牛乳には危険がいっぱい?」 東洋経済新報社 ¥1,200.- フランク・オスキー著
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「腸内宇宙」 健康科学センター ¥1,200.- 馬場練成著 東京理化大学数学科出身 研究者も関心を寄せるひとが少なかったために極めて身近な共同生活者の腸内細菌を分かりやすく多くの研究者の成果を紹介
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「腸内細菌の話」 岩波新書 ¥280.- 光岡知足著 東京大学農学部獣医学科出身 腸内細菌研究の先覚者であり、第一人者