Fujimae Booklet 2

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西川 輝昭 名古屋大学
人間情報科学科

 藤前干潟埋め立ての代償措置として人工干潟をつくるというのには、あきれるばかりです。現在陸地となっているところ(たとえば埋め立て地)を高性能の人工干潟に変えるというのであれば、水質浄化や渡り鳥の中継地としての新たな貢献が期待できるかもしれません。現在そういった点での価値がゼロであるところですから。ところが、干潟周辺部を嵩上げ(低く埋め立てる)するということは、その部分のこういった価値をやはり0と見ているのかもしれません。ともかく、日焼けをするのに、手軽にただでできる日なたぼっこをせず、わざわざ高いお金を払ってビルのなかの日焼けサロンで人工の紫外線をあびるようなまねは、やめたほうが賢明と思われます。

 考えるに(考えなくても)、潮下帯上縁部(干潟の周辺の浅いところ)の水質浄化能力や生物生産力を、干潟(潮間帯)とくらべてどの程度と見積もるかがひとつの問題です。さらに、人工干潟のこれら諸力を、自然干潟のそれとのくらべてどのように見積もれるかも問題となります。具体的なデータを踏まえて議論すべきところですが、残念ながら私の手元には資料がありません。そこで考えるだけ考えてみました。

(1) 潮下帯上縁部の諸力=自然干潟の諸力と見積もる場合には、長い時間がたってやっと、その人工干潟がたとえ自然の干潟と同様な状態に成熟したとしても、究極的に1(潮下帯上縁部の浄化・生産能力)が1(人工干潟の同能力)になるだけのことです。「代替」とするためには、人工干潟の諸能力が自然干潟のそれを上回ることが必要です。これは常識的に考えにくい。ちなみに、喪失面積と同程度の大きさの人工干潟を作って「代償」とする場合には、人工干潟の能力を自然干潟の2倍(!)と想定していることになります。

(2)次に、潮下帯上縁部>自然干潟と見積もる場合には、前者を破壊して「干潟」を作ることはあきらかに本末転倒ということになります。

(3)潮下帯上縁部<自然干潟と見積もる場合、たとえば前者が後者の半分とした場合、かりに長い時間の後で人工干潟の能力と自然干潟の能力が同じになると(誇大に?)仮定しても、埋め立てで喪失する面積の2倍を嵩上げして人工干潟を作らないと、「代償」にはなりません。今回の市の案では、喪失面積とほぼ同程度の広さを人工干潟とするようですが、これは、上記の仮定のもとで考えると、潮下帯上縁部の能力を0とみなしていることになります。これは過小評価もはなはだしいと思われます。

 さらに別の問題があります。一般的にいって、干潟はそこからなだらかに続く潮下帯上縁部があってはじめて十分な機能がはたせると考えられます。潮がひいているときには潮下帯にいて、潮がさしてくると干潟部分に移ってくる、つまり水平移動する生物も知られています(底生動物にかぎっても、ガザミ類やキンセンガニなどの大型カニ類や泥の中のある種の無腸類ウズムシなど)。もしかりに、「嵩上げ」が、垂直の堤防のようなもので縁取られるとしたら、干潟と潮下帯とは生態的には断絶されるおそれがあります。また、潮下帯上縁部自体が喪失する結果ともなりかねません。こうなれば「代償」はおぼつかなくなります。

 このように見てくると、今回提案の人工干潟造成が、藤前干潟の埋め立て(喪失)部分の代償措置となるとはとうてい考えられません。

 

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