2.葛西海浜公園(東なぎさ・西なぎさ)
東京湾には、明治後期には136平方kmもの広大な干潟があったが、昭和50年代後半には埋め立て等によりわずか10平方kmにまで減少している。
東京都江戸川区地先でも干潟が埋め立てられ、その代償的な意味で沖合に人工干潟・海浜が造成された。東なぎさは1983年に浚渫砂泥により約30ha、西なぎさは1988年に山砂で約38haが造成され、東なぎさは自然生態系保全のため立入禁止、西なぎさは橋がかけられ市民のための親水海域として利用されている。
葛西海浜公園地区では、人工干潟造成以前から東京都環境科学研究所によって底生生物や水質、底質などの調査が行われている。また、東京湾の自然干潟との比較調査も行われている。同研究所年報や関連する報告書
(文献5,6,7) によれば、底生生物の種類数は東なぎさで17種、西なぎさで19種であり、干潟造成後7-11年経過しても、造成前の1973年における同地域の26種には回復しておらず、年ごとの変動も大きい。また、底生生物の現存量は、東なぎさの方が西なぎさより多い傾向があるが、両なぎさとも造成前の現存量には回復していない。底生生物による水質浄化量は、1988年から4年間の平均で、東なぎさが77g/m2、西なぎさが37g/m2であった。なお、自然干潟の千葉県盤洲干潟は151g/m2、三番瀬は75g/m2の年間平均浄化量が測定されている。東なぎさは三番瀬と同等の数値となっている。
鳥類については、種類数は、造成前の1973年の20種から徐々に増加し、1992年以降は40種前後で安定している。個体数は、造成中の1978年の1,000羽未満から全般的に増加している。特に、秋冬期にはガンカモ類、ハマシギ、ユリカモメなどが年によって15,000−17,000羽確認されている(文献7)。
筆者らの1998年6月10日の調査(文献8)では、1mmメッシュの篩いを用いて採集した底生生物の現存量は、3地点(各地点2サンプル)のそれぞれの平均値でみると、1,697g/m2、301g/m2、93g/m2であった。現存量の最も高い数値は、殻径3-4cmのシオフキガイが18個含まれていたことによる。この地点は当日の低潮線付近であり、陸側に入るとシオフキガイは少なくなり、高潮線付近ではみられず、ゴカイ類が多くなっていた。
鳥類は渡りの時期を外れていたので、シギ・チドリ類、ガンカモ類はほとんど見られなかったが、休息中のカワウが約5,000羽観察された。
東なぎさ、西なぎさの前面(南側)には広大な自然干潟である三枚洲があり、両なぎさの底生生物の供給源となっている可能性が高い。また、シギ・チドリ類にとっても三枚洲の存在が大きく、自然干潟と人工干潟の両方を生息場所としていることが考えられる。
3.大阪南港野鳥園(西池、北池)
大阪湾においても埋め立てが進み、現在では自然の干潟はほとんど残されていない。かつてはシギ・チドリ類の渡来地として知られていた住吉浦も、港湾整備のために埋め立てられた。南港野鳥園は、埋め立て地に造成された野鳥の生息地であり、1983年に開園している。
当初、淡水池(南および北池)と海水池(西池)、合計12.8haから成っていたが、1995年に改修工事が行われ、海水の入る西池と北池が連結され干潟部分が拡張された。海水の流入流出は、15本設置されたヒューム管によるが、外海側には捨て石が積まれており、海水はその間隙を通過している。この点が、五日市および葛西の人工干潟と大きく異なる。なお、干潟の大部分は、海水が導入されてから、まだ、3年目であり、それ以前は淡水池であった。
筆者らは、1998年7月4日に3地点で底生生物調査を行ったが(文献9)、湿重量は、22.4g/m2、1316.8g/m2、+g/m2と大きなばらつきがあった。造成後、海水池の古い部分で15年、新しい部分で3年が経過したのみであり、干潟が発達するにはまだ時間の経過が少ないと思われる。しかし、海水が捨て石の間隙とヒューム管を通じて供給されることまた、干潟表面から40cmのところに基底土(浚渫泥)流出防止のための樹脂製ネットが設置されていることなどが影響している可能性もある。また、干潟表面から数@下に厚さ3-4@の黒色の還元層が見られるところが多いことから、酸素の供給が少ないことが考えられる。
シギ・チドリ類は、1996-98年には、23-33種、総個体数は、春期が824〜1278羽、秋期が575〜727羽記録されている(文献10)。
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