佐藤 正典 |
鹿児島大学理学部
地球環境科学科 助教授 |
はじめに
日本の制度では、環境アセスメントをとりまとめるのは、開発を行おうとする事業者自身であり、いわば「自己点検」のようなものである。したがって、環境アセスメントが意味あるものになるかどうかは、事業者自身の環境保全に対する見識とモラルに委ねられている。名古屋市の藤前干潟をゴミ処分場として埋め立てる計画についての環境アセスメントは、名古屋市の行政の見識が悲しいほどに貧困であることを内外に示す結果となってしまった。
干潟埋立以外の選択肢について
最大の問題点は、干潟埋立が唯一の選択肢とされ、それ以外の案が全く検討されていないことである。「ゴミ処分場の確保がきわめて困難なので干潟を埋め立てるしかない」と説明されているが、その一方で、この計画の当事者らが同じ名古屋港内の遊休地にゴルフ場を建設するという。ゴルフ場の方が干潟よりも大事という判断である。ゴミの埋立期間はたったの10年間である。10年分のゴミのために、これまで奇跡的に残されていた干潟を永久に失うことよりも、たとえば、ゴルフ場の建設を10年間待ってもらって、ゴミ埋立完了後にその上にゴルフ場を作るという選択肢もあるはずである(ゴルフ場予定地は約60haの面積があり、今回の事業計画の面積を上回る)。
本来、自然環境の保全に対する見識が多少ともあるならば、計画策定の段階で、干潟埋立以外の代替案も含めて、複数の選択肢について公正な科学的調査が行われ、どれが最も賢明な選択であるか判断されるべきである。このような根本問題を検討することなく、干潟埋立を前提として環境アセスメントを進めるということは、最初から干潟を保全すべき対象とは見ていないことを意味し、環境アセスメント制度の趣旨に反するものである。このようなやり方は、たとえ日本の現行法に抵触しないとしても、モラルに反する行為である。公共機関である地方自治体がこのようなことを強行すれば、実際の環境アセスメントは全くの骨抜きになってしまい、環境アセスメントの現場で働く人々の意欲をなくしてしまうだろう。さらに、国際的に日本はますます信用されなくなるだろう。
したがって、ここには環境アセスメントの内容に立ち入る以前の問題があり、このまま今回のたった一つの案についての環境アセスメントだけで海域埋立の申請が許可されるようなことがあってはならないと考える。
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