1 平沢貞通は犯人では無い―帝銀事件は語る
「帝銀事件」の解決無しに<戦後は終わらない> P2
極めて特異な、限られた者だけがなしうる犯行 P2
犯人の薬にたいする異常な自信と信頼 P3
戦時中あった陸軍第九研究所で、昭和16年にアセトン・シアン・ヒドリンという薬を開発していた P3
ある日突然向きを変更させられた捜査方針 P4
初動捜査段階で警視庁が犯人について、戦時中、朝鮮半島に派遣された日本陸軍の毒殺担当要員か、七三一部隊員と見ていた P4
2 最凶悪の公害である<帝銀裁判事件>
「司法権力の不正と無能、無責任は、国民を絶望に導く最凶悪の公害である」P5
捜査当局は、後の七三一部隊である千葉県津田沼の軍機密化学研究所と事件との関係について、同研究所に勤務、または雇われていた全員について捜査を行っている P5
犯人としての能力、的確性の科学的検討はまるっきり行われていない
P6
有罪の決め手は「自白調書」、しかしその調書は調書は偽造だという鑑定報告書が提出されている P6
自白調書だけで有罪にするくらい危険なものはない P7
凶器の確定とその入手経路すら明らかにされていない P7
裁判機構の内側では<司法一家>の意識がまかり通っている P8
<司法一家>の根性は今なお現存し、脈々と流れている。先任の裁判官、検察官の下した決定は軽々しく覆してはならないとする不文律の伝統だ
P8
3 帝銀事件の深層を抉る
厚生省の創設にさかのぼると現れてくる悪の伏流水 P9
日本国民の肩には重いツケが残された P9
細菌兵器を研究開発し、実用化するために設置された七三一部隊
P10
七三一部隊出身者がつくった会社 P10
帝銀事件の真犯人が社内にいるという噂 P11
なぜ死刑を執行しなかったのか P12
現在では考えられないような捜査手法上の問題 P12
「問うに落ちず、語るに落ちる」の類 P13
冤罪を叫びつづけるなか、あいまいなまま放置されてきた末の獄死であった。それはまさに<獄殺>と呼ぶに値しよう P13
(あとがき)
P14
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