Booklet 04 P.7

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自白調書だけで有罪にするくらい危険なものはない
凶器の確定とその入手経路すら明らかにされていない

 

 

 一般的にいって、自白調書だけで有罪にするくらい危険なものはない。おまけに平沢はコルサコフ病にかかっており、北海道からつれてきて、39日連続拘禁し、誘導、拷問の取り調べではたまったものでない。耐えかねて3回も自殺をはかっている。この自白調書の問題を、ベテランの成智元警視に聞いてみよう。

「そんなものは取調官の自由になるものです。例えば、素人には全然読めない独特の字を書く。そして、それを見せて、これでよいか、拇印を押せという。すると疲れきっている連中は、たいがい『はい、その通りです』と署名し拇印を押すものです。また、技術的に容疑者が言っていることと反対の調書をとるぐらい平気ですよ。これは一つの技術ですから。例えばあとで読み上げて聞かせて『これでよいな』という時に早口で読む。ありますというところをありませんと語尾をちょっと濁らせば、そのまま通ってしまう。利益になることは明瞭に、不利益となる点は濁してしまうのですよ。これは長年の経験で調書はついこうしてとってしまいたくなるものです。あまり取調べに苦労しますとね。だから、自白調書だけで死刑に持ち込んだ平沢の判決などは信用できないのですね。」

 ついでに平沢が自白して犯人と確定したときの警視庁の模様も語ってもらっておこう。

「藤田捜査本部長は頭をかかえて、困った、困ったと言っていましたよ。その打ち上げの祝賀会があった時、私はいくつもりはありませんでしたが、『仕方がない、まあ顔だけは出しておけよ』と藤田部長が言うので、出席だけはしましたが‥‥。平沢が高木検事の手に渡ったとき『とにかく高木検事に会って今までのことを耳に入れておけよ』としきりに主張したのは藤田部長でした。私も検事が過ちを犯しては大変と会いに行きましたが、ケンもホロロの頭から拒否する態度で、とりあおうともしないのですね。大変若い、いわば大学出たての青臭い検事で、その未熟な青臭さから平沢がクロだという予断を抱いてしまったものではないですか。『こんな青臭い検事にこの大事件を調べさせるとは』実際にそう思いましたよ。後味の悪いスッキリしない事件ですよ‥‥」。

 また、簡単に事実だけ羅列しておくと、犯行現場に残された茶碗についている指紋は平沢のものではない。つくられた調書をみると、平沢は午後3時10分前に池袋駅に着き、歩いて帝銀へ向かったことになっている。そして、生き残った女子行員の竹内正子(旧姓村田)さんの証言では、犯人は3時3分頃、通用門に入ってきたという。調書では通用門に到着するまでの道程が書かれているが、いろいろな伏線を机上で作り上げたために、犯人が通用門にこの時間に到着するのは誰がみても、いや歩いてみても、不可能なことは明瞭だ。

 その時、平沢は娘のところに行き、タドンを袋一杯もらって帰り、娘のボーイフレンドと一緒に夕食を食べ、その時ラジオのニュースで帝銀事件の発生を知った。つまりアリバイがはっきりしているのである。

 これはそれとして、注目すべきことは、殺人事件の解明には不可欠である凶器の確定とその入手経路すら明らかにされていないことだ。こんなずさんなことが裁判でまかり通り、しかも死刑を判決していることである。判っているのは、抽象的に青酸カリの類だというだけで、具体的にいかなる青酸カリかということも確定されず、そのため入手経路も不明のまま終わっている。高木元検事はこのことについて、最近のテレビ(1985年6月3日夜)で次のように言っている。「青酸カリは平沢の娘が外地から引き揚げる時持って帰ったもので、このことで娘を追及するのは平沢に気の毒だと思いそのままにした。こんなわけで青酸カリの入手経路は自白させてないのだ。」と。

 そのことがあたかも平沢への温情らしく見せかけているが、こんなのを<ワニの涙>(相手を喰べるまえに涙を流す)というのである。いずれにせよ凶器と入手経路は不明のまま死刑判決が下されている。かつて八海事件のやり直し裁判で、相変わらずの有罪判決が出たとき佐々木哲蔵弁護団長(元裁判官)は、「こんなのは裁判ではない!」と叫んだが、帝銀事件はまさに裁判に値しないシロモノと言えるだろう。

 

 

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