以上が、だいたいの帝銀における犯行状況だが、誰でも初めのころは、16人が、どうして全員犯人にだまされて、一斉に薬を飲んだのかが不思議に思われたのである。そこで生き残りの人に聞きただした結果、犯人は現れたときから、いかにも医者のような雰囲気を持っていたし、薬を分ける道具もその分け方も、そして薬の飲み方の説明も、どこ一つとっても不思議なものはなく、そのうえ自分でも飲んでみせたのだから安心して従ったというのだ。
これは犯人の「名演技」というのでは甘すぎる。<地>そのものと見るべきであり、そのため一点のよどみもなく、全員がだまされたとみるのが自然だ。そして、もう一つ見逃せないのが、犯人の薬にたいする異常な自信と信頼である。銀行を襲うのに、わずか200cc入り小児用投薬ビン一本を持っての犯行であるから。
使用された青酸化合液の濃度は5〜10%で、一人に与えた量は約5ccである。これを青酸カリに換算すると、一人当たり0.2グラムから、0.5グラムとなる。青酸カリの致死量は0.3グラムだから、致死量スレスレである。被害者に与える刺激も最少の量ですみ、犯人としては最少の量で最大の効果をあげたわけだ。犯人のこの方面への造詣がいかに深いかがわかる。
次に、第一薬と第二薬という非凡な着想は、第二薬は単なる水であろうが、第一薬の完全な嚥下(えんか)が図れることで、第一薬の致死量スレスレの少量を補うことが出来る。そして、この間に1分間の時をもうける。この一分間は第一薬の薬効が発揮される時間だが、被害者とすれば、熱い、苦しいもちょっとの間で、1分たてば中和剤が飲めると、犯人の手元に全員が引き寄せられていて、外に飛び出す人間は出ない。断末魔の反撃を防げる大事な一分間なのだ。一分たてばもう大丈夫で外には出られない。そこで、洗面所へ行ってよろしいと許可をだしている。
ここで重要なことは、この1分と関係のある、犯行に使われた薬液はいったい何かと言うことだ。裁判では「市販の青酸カリを平沢がどこからか買って持っていて」となっているが、青酸カリは薬学上の通説でも、たいへん即効性が強く、飲むと一呼吸で倒れることになっている。それなのに1分間は誰も倒れていない。犯人は、それを計算にいれて、極めて重要な1分間を犯行計画の中に設定しているのである。これは通説に反する現象といわざるを得ない。致死量スレスレだからという説明では、それが性別、年令、体質などでそれぞれ違うのだから、1人ぐらい倒れても不自然ではない。ところが、誰も倒れていないのである。小使いの滝沢さんの長男、吉弘ちゃん(八つ)までが、大人と同じ量を飲んでやはり風呂場に行く途中までもちこたえている。
その後、おびただしい吐瀉物を分析し、東大と慶大で六体ずつ解剖し、また生存者から、味、刺激などを聞き取ったりした結果、青酸カリ化合物だとは分かったが、科学的にはついにそれ以上分からなかった。元読売新聞の竹内記者たちの取材のなかで浮かび上がってきたのは稲田登戸(川崎市)に戦時中あった陸軍第九研究所で、昭和16年にTという中佐が、アセトン・シアン・ヒドリンという薬を開発していた事実である。
この薬の特色は二つあり、一つは遅効性である。青酸カリは安くて効き目は強烈だが、即効性があまりにも激しい。そこで、大量毒殺とか集団自決などの軍用にはふさわしくない。そこで、これに1、2分の遅効性を与えるよう研究された。服毒すれば、胃に到達して胃酸と化合し、青酸ガスを発生するというのである。二つには、この薬は服毒した死体を解剖しても、青酸化合物ということだけで、それ以上は分からないというものだ。
さらに、昭和17(1942)年上海の「玉部隊」で、この薬を使って、捕虜を集団で殺しており、この殺し方が帝銀事件に酷似している。第一薬と第二薬を使って、その間に1分の<時>を設定している。しかも、軍医がみずから飲んでみせている。そして、これが二度行われていることまで明るみに出てきた。
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