Booklet 04 P.11

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帝銀事件の真犯人が社内にいるという噂

 

 

 このように、世間の常識では判らないまことに不可解なこの会社のなかで、帝銀事件の真犯人が社内にいるという噂が事件のあと広がったことがある。このことを追及していった週刊誌の記事を要約して紹介しておこう。ひときわ話題になった人物は、昭和30年頃の入社ですぐ学術分野の部長に就任、やがて取締役になり、常務を経て引退した男であった。顔が平沢貞通そっくりかといえば、それほど似ているわけではないが、むしろ、あんな12人を一度に毒殺するような事件は、この人でなければ出来ないだろうというようなニュアンスからの噂だったようだ。「彼は戦争中、毒物の研究をしていたんじゃないですか。旧帝大の医学部を出た優秀な予防医学の学者ですが、戦争中何をやっていたのかは社内でも知られていないのです」と社員が語っている。

 その元常務は、帝銀事件が起った昭和23年には、事件現場の都内豊島区椎名町から西へ数キロの至近距離に住んでいて、その当時も、周囲から「帝銀事件の真犯人ではないか」と噂され、警察へ通報されたことがある。白髪混じりの顔の特徴はモンタージュ写真そっくりで、経歴は元陸軍軍医少佐、しかも防疫班に所属。家は現場に近く、土地勘は十分、というものだった。

 ところが捜査員からマークされると、突然、伊豆方面で自殺し、文字どおり姿を消してしまったこと。少なくとも家族が近所にそう伝え、葬式まで出したという。それから間もなく、毒物の専門家ではない平沢貞通が逮捕され、自供を証拠に死刑の判決が下る。

 が、驚いたのは、その知り合いだった人たちで、なんと姿を消してから20年も後に、本人がミドリ十字の役員として活躍していることを知ったからだ。そこで再び、「やはり、真犯人はあの人じゃなかったのか」という噂がしばらく囁かれたという。そしてミドリ十字社内でも、「やはり真犯人らしい」と噂されていたわけだ。

 当時のミドリ十字には、毒物の専門家、細菌の専門家などが揃っていて、彼らは単に知識を詰め込んでいるだけでなく、実際に何分で死ぬかを試した経験を持っていた。警視庁にひそかに事情を聞かれた者は、この元常務のほかにも何人かいた筈であると、ミドリ十字関係者は語っている。毒殺事件でも起ろうものなら、容疑者にされかねない「人材」がゴロゴロいたということである。その伝統は今も生きていて、エイズ患者続出でも大した気にもしなかったのだろう。現に、「昔は血友病患者は20代でみな死んだ。いまはエイズになったといっても長生きできている。それはミドリ十字の功績だ」と胸をはるOB氏すらいるのである。

 真犯人はあれではないかと追跡した記事はいくつも散見されるのであるが、それが平沢貞通に違いないと調べていったものは、ほとんど見られない。このことが示しているのは、平沢は真犯人ではあるまいとする空気が通常なのである。

 

 

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