Booklet 04 P.8

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裁判機構の内側では<司法一家>の意識がまかり通っている
<司法一家>の根性は今なお現存し、脈々と流れている。先任の裁判官、検察官の下した決定は軽々しく覆してはならないとする不文律の伝統だ

作品4

 

 

 一部の例外を除いて、裁判機構の内側では<司法一家>の意識がまかり通っている。裁判官は他の誰よりも「検事を愛す」のだ。現在の刑事訴訟法はまだ被告に不利益にできているが、裁判所ではそれをさらに被告人に不利益に解釈する。帝銀事件では私文書偽造の詐欺容疑で勾留し、それを検察官が39日間連続50回にわたり取調べている。ところが、最高裁は「右の取調べをもってただちに不利益な供述を強要したものと言うことは言えない」と言っているのである。普通の人間なら精神状態がそんな場合どうなるかぐらいは、すぐ判ることにもかかわらず。裁判の制度の改変の要求は、こんなところからも出てくるのである。誤判を防止するためには、被告人の立場に立ってものを考えられる裁判官の存在が不可欠だ。

 検事がやらなければならなかったのは、まず吐瀉物の前に頭を下げて、「あなたのお名前とどこから来られたかを教えて下さい」と哀訴することではなかったのか。こんなていたらくの裁判の結果に対して、誰が死刑執行の印鑑が押せるものか。責めるべき相手は歴代の法務大臣ではなく、検察官と裁判官たちである。相手を間違えてはならない。

 かくて1985年5月七日に死刑確定から30年を迎えた。刑法三一、三二条には「刑の時効」の規定があり、刑が確定してから一定期間執行されなければ免除すると決めている。死刑の場合は、この期間が30年とされる。平沢弁護団が「時効成立」として、即時釈放を求める初めての人身保護法にもとづく訴えを東京地裁に起したのは当然である。

 これに対して5月30日、東京地裁藤田耕三裁判長は「刑の執行を前提とした拘置だから、時効とはならず釈放はあり得ない」と棄却した。そして、さらに付け加え、「時効の恩恵を受けるのは逃亡者に限られる」と言ってのけた。逃亡者は恩恵を受け、獄中にいる者は恩恵にあずかれない―これはいったいどういうことかと疑問を持たれ、かつ笑われた。

 こんな茶番決定は予想されたことでもあり、驚くに値しないが、ここで正体をあらわにしたものが大事である。一つはいうまでもなく<司法一家>の根性が今なお現存し、脈々と流れている点である。先任の裁判官、検察官の下した決定は軽々しく覆してはならないとする不文律の伝統だ。二つにはそれを守るためにつくり出す三百代言である。これについては簡単に論断しておこう。

 法務関係者や一部法学者たちは、平沢が再審請求をくり返し(17回)、その間、法務当局は慎重を期して死刑を執行しなかったために30年間たってしまったのだから、時効とはならない。これを認めると時効を阻止するために再審中でも刑の執行を急がざるを得なくなる、と強弁した。馬鹿も休み休み言い給え。刑訴法第四四二条には、再審の請求は刑の執行を停止する効力を有しないとあるではないか。つまり時効は進行するのである。しかし、そんなに時効の進行が怖ければ、それにつづいて、検察官は再審の請求についての裁判があるまで刑の執行を停止することができる、とある。そして、刑法第三三条で、時効はこれを停止したる期間内は進行せず、と規定しているではないか。

 今時になって泣きごとを並べ、三百代言を繰り返すとは何事か。進行させないためには、執行を停止する措置だけ済んだのだ。それをやったのか?やっていない以上、法律に基づいて時効は完成しているわけで、一点の疑いもない。停止さえしておけば、平沢の時効は30年どころか、まだ2、3年しか進行していないことになる。平沢は時効は進行しないが、いつ呼び出されて殺されるかわからぬ恐怖から解放されて、この28年間ばかりを枕を高くして眠ることができたわけである。検察官はなぜそうしなかったのだろうか。再審請求を繰り返す不埒な死刑囚を絶えまなく死の恐怖におびえさせたかったのである。30年の時効の完成は、そのいたぶりの代償にほかならない。

 弁護団は東京地裁の決定を受けるや、ただちに最高裁に特別抗告した。最高裁がいかなる三百代言を弄するか、待たれるところである。
時は移り、やがてこれらの検事や裁判官たちがようやく天国にたどりついたとき、そこに黒々と書かれた次の文字を眼にするであろう。

 <娑婆で権力を悪用し、人間を危難に陥れた者たちは、これより先、入るをゆるさず>

 

 

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