このアイデアから、次のような国家の形成と存続に関する推理がもたらされている。国号と天皇号が定まった7、8世紀以後、千三百年を経て今もなお天皇制が続いている事実は、それ自体で日本民族の歴史がその時期を起点とするものではないことを物語っている。なぜならずっと古い時代から千三百年前の国家誕生時点へと上昇してきた国民の継続の意思が、その後の持続を可能にしてきたと解釈できるからである。つまりやがて「日本国民」となるべき集合を維持し続ける集合的意思が、日本列島に人が住み着き始めた遠い過去から働いていて、日本歴史の連続性を保証しているということになる。ヘーゲルも驚いて逃げ出しそうな形而上的精神の運動としての歴史の見方である。
別の言い方では、日本歴史は縄文文化によって背後から支えられ、「なにかしら縄文文明、縄文精神とも呼ぶべきもの」を背中に背負っている。そのような「なにか大きな、目に見えないパワー」が、現代日本にも生きつづけている」となる(70ページ)。神秘な民俗的な力が背後で日本の歴史を動かしているという神秘主義は、「神道」の伝統につながる思想とみなすべきだろう。
日本歴史の中に潜むそうした深い意志を象徴する例として、著者は縄文火炎土器、運慶、葛飾北斎の例をあげるにあたって、次のようにいう。
「山岳信仰とアニミズムに表れた古代日本人の信仰心にも自ずと示されて居るような、自然の奥底への自己献身、自然と自我との一体感、自然そのものを生かし、自然を対象世界とはしない、自然を自我と対立した世界におかない一如の体験の中から、まるで地底からわきあがってくるような天地万物のエネルギーが姿をなし、かたちを整えて立ち現れるということがたびたび、繰り返されたように思えるのである」(同書、296ページ)。
この国民の連続的意思を主体とする「文明圏」論から、国家の支配力を尺度とする「近代」についての把握が出てくる。西洋史では、大航海時代をもって「近代」の始まりとしている。根拠は、軍事力によるヨーロッパの勢威拡大である。日本の国力は、十6世紀に世界的レベルにまで高まり、日本人はこの時期に「近代」の意識を獲得し、表現した。すなわち信長・秀吉時代に全国の武力統一が達成され、軍事力経済力が充実したことにより、次の段階として外国諸国の支配と覇権を求めるにいたった。その展開は、「この当時の世界的規模で沸き起こっている『近代』意識の当然の自己表現」である。秀吉が、スペインのフィリップ2世に対抗する東の王者となろうとして、朝鮮に出兵し、朝鮮を経由して中国を支配し、北京に天皇をおき、自分は寧波を拠点に、天皇より高い地位で東アジア一帯を版図とする帝国を築こうとしたことは、「日本人の近代意識の最初にして最大の自己表現であった」(同、376ページ、傍点は著者のもの)。
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