国民国家の形成期に、戦争を辞さなかった国とそうでない国とのあいだには、その後の国家力にはっきりと差がついた。その時期に新興独立国アメリカは中南米の独立を擁護するモンロー宣言を発する気概があった。日本がアジアに関して同じ宣言を発してなぜ悪いのか。「大東亜共栄圏」の理念は、日本一国でアジア全体を守るというもので、失敗には終わったがその気迫は貴重である(同、512ページ)。
日清戦争は、新興国日本の「文明」が、「老廃国中国よりも高く、アジアにはもう一つの中心があることを証明する戦争」であった(同、529ページ)。日露戦争で世界の「大国」の仲間入りした日本が、欧米列強とのバランス・オブ・パワーを保つ必要から韓国を併合したのは、世界から「アジアの平和の最上策として支持」される措置であった(同、534ページ)。
日米の太平洋での戦争は、「同時期に勃興した二つの若き太平洋国家が直面した”両雄並び立たず”の悲劇」であり、第2に、日本が登場したことによる近代史上始めての「欧米キリスト教文明の外側、あるいは外側とのボーダー」での「人種間闘争の色濃い戦争」であった(同、596ー597ページ)。侵略戦争というなら「お互い様」である。日本は、欧米文明に根深い人種差別によって迫害され、それと戦って敗れたのだ。日本には反西欧アジア十字軍という「立派な名分が用意されていた」のに、それを存分に活用できない政治的失敗を犯した。日本は、白人の人種差別に基づく支配に「たった一国で立ち向かい、集中砲火を浴び、ついに息の根を止められた」のであり、「起用に賢く立ち回れなかったからといって」、その精いっぱい生きて戦ったことをどうして軽々に非難できるのか(同、611ページ)。「悲劇に終わった歴史もまた自分のいとおしい肉体の一部」(同、613ページ)である。
このせりふを聞くと、水に映った自分の姿に恋したナルキッソスの自己愛が思い出される。自己肯定が自己陶酔にまで高じたものかもしれない。また、著者のこうした言説は、人種差別主義の土俵に乗って差別思想をあおる働きを持つ。国家間、民族観、個人間の対立を白色人種対有色人種という人種間対立に帰着させ、その対立を本質主義的に構築する言説だからである。
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