90年代は、冷戦終結による世界秩序再編成期であり、湾岸戦争、米国の一極支配とアメリカン・スタンダードによる経済のグローバリゼーション、欧米中心の文明に対するイスラム文明世界の活性化などが起こった。日本は、新しい国家像についての論議が一時政治のテーマになったが、バブル崩壊後の深刻な不況とともに、欲望と利益の私中心主義、自己愛のナルシシズムが、差別、排外、国粋の言説に引き寄せられるようになった。
他方、アジア諸地域では、それまで冷戦によって封印されてきた民衆諸個人レベルからの戦争責任、戦後責任追求、戦後の「脱植民地化」で起こった民衆虐殺の真相究明などの問題が提起された。とりわけ韓国の女性運動によって、日本軍「慰安婦」問題が国家の関与した組織的犯罪として告発され、謝罪と賠償を求める運動が盛り上がったことは、果たすべき脱植民地化の広く深い問題が水面下にあることを象徴する出来事であった。日本の民衆運動にとっては、これまでに主体的に取り組むべき問題であったのに、これほど長い間この問題に取り組むことができなかったのはなぜかという深刻な問いが問われなければならなかった。
アジア太平洋戦争時の日本軍の組織的犯罪、女性の「性奴隷化」である「慰安婦」制度、731部隊による捕虜の人体実験、「南京大虐殺」などの史実に対して、右翼ナショナリスト組織とそのイデオローグは、事実それ自体の否認、抹殺し、歴史を国家の行為と国民の栄光を讃美する物語に書き換えようとしている。藤田省三が言うところの、不快な物を一掃殲滅する「全体主義」への傾向は、たんに生活様式における「安楽」への志向のレベルに止まらず、国際競争という名の「戦争」に勝ち抜くという名分によって、国家への帰属と排外主義を強め、自国の権益拡大をはかる国家主義と融合し始めている。
|