Booklet 01 P.3

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県民一人一人の平和と正義の実現を求める願いに耳を傾けない稲嶺県政と、「利害勘定」に問題を切り縮める識者たち。
負の遺産を相続してきた歴史に終止符を打ち、「共生」を基本に据えた日本列島社会を築くという課題を今こそ考えなければならない。

 

 

 嘉陽さんの話を聞いた後、瀬蒿の「風と海の宿」という民宿に入ったら、ちょうど普天間基地移設問題でテレビ討論会が行われていた。田原総一朗司会で、パネリストとして稲嶺恵一沖縄県知事、嘉手納町長、有識者として島田晴雄慶応大教授、ジャーナリスト蔦信彦の4人が出席していた。席上、司会者が知事に、現地住民には会ったのかと質問した。知事の答えは「事前に会うと混乱するから(会わなかった)」であった。基地の移設という、現地住民を賛否両派に分裂させ、生活を根底から変えさせることになる決定に当たって、その決定の主体であるべき当事者の生の声を聴かずに事を進めるとは‥‥と私はおどろいた。地域自治体政治の原点は、首長が県民と苦楽を共にし、その痛みを痛みとして感じることではないのか。たとえ県内移設を行わざるを得ないとの判断に到達した場合でも、そのことによってこれまでの地域共同体が破壊され住民が分裂することへの痛みを自らの痛みとするのが、県政の責任者としての取るべき態度ではないのか。現場で、とくに少数派や弱者の声に耳を傾け、徹夜してでも話し合うことこそ、より深刻な「混乱」を避ける道なのではないか。

 討論会の出席者は、こもごも「やむを得ない次善の策」、「現実的対応」という常套句を掲げて、県内移設の見返りに振興策という名で引き出すカネをどう使ったらいいかについて語っていた。いったんこの利害勘定の軌道に乗ってしまえば、基地建設についての県側の付帯条件、たとえば期限を十五年に限定するなどは空手形をつかまされ、やがて既成事実によって押し切られるであろう。私はこの討論を聴きながら、稲嶺県政には政策を、県民一人一人の平和と正義の実現を求める願いに照らして確かめつつ進める思想がないと思わざるを得なかった。在所に帰ってから、そういう批判と意見を手紙に書いて稲嶺知事と岸本名護市長に送った。その後、岸本名護市長の基地移設受け入れ声明が出され、2000年初頭の現在、賛成、反対の運動が、現地と全県を二分してはげしく闘われる事態となっている。

 この沖縄の政治的現状は、日米安全保障条約によって枠をはめられたこの50年の日本国家の政治が、なにを基準にし、なにをしりぞけてきたかを示す標本である。沖縄は戦場としての犠牲に加えて、戦後、米国の軍事基地としての役割を強いられ、ほんらい本土が負うべき負担を押しつけられてきた。そして、いままた基地の県内移設をめぐって、その内部を引き裂かれ、苦悩を深めている。

 私はこの間、戦後50年の日本国家が植民地宗主国であった大日本帝国の負債を清算せず、むしろ戦前からの負の遺産を相続してきた歴史に終止符を打ち、「共生」を基本に据えた日本列島社会を築くという課題に、自分はどう答えることができるかについて反省と思考を深めようとしている。その課題を考えることと、この沖縄の事態を本土の住民である者の倫理的、政治的な責任として受けとめることとは表裏一体の関係にある。

 

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