Booklet 01 P.13

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「国民の歴史」四つの特徴。

 

 

 歴史観に道徳を持ち込むべきではないという立場から、著者は「人類の法廷」を否認する主張に多くのページを割いている。歴史をたどると、西洋諸国の「国際社会」のルールは、自国の利益のために、戦略的に相手国と協定や条約を結ぶ諸国家間の駆け引きの産物であり、それは、東アジア人から見れば「正義の仮面をかぶった悪魔の顔」である。しかし表向きは、万国に通じる「道徳的公法」の体裁をとっていて、「強権の下に甘い文明の香りを漂わせている」(同、435ページ)。人類普遍の倫理などを説くのは特殊利害を普遍利害といいくるめるまやかしである。「人類の法廷」の設定は、なんらかのイデオロギーに立って正邪を定める行為であり、「諸国民の上になんらかの法廷を設けて、それによってルールを決め裁くという発想は、すぐれて西洋的なキリスト教的な『審判』の思想に基づくのである」(同、467ページ)。国際法は、「もともとヨーロッパ中心主義の、そしてヨーロッパ人にとって自己の戦争を優位かつ合理的の展開するためのルールづくりとしてつくられた」もので、「その底には異教徒への蔑視と、コントロールの術をどこかで必ず内包していたに違いない法的規制」であった(同、458ページ)。ニュルンベルク裁判は、「人道に対する罪」を諸国家を越えた正義の立場から裁いたものなのではなくて、戦勝国の力による勝利を前提にした相対的な裁きにすぎない。

 「『人道に対する罪』などという新しい普遍的な正義の尺度もまた、よく考えてみれば、しょせんはフィクションであり、にわかごしらえの約束であり、相対的な一観念でしかないであろう。神ならぬ身の人間が、あらゆる集団を超越する尺度をつくろうとするならば、人間が人間という種族をも超えた立場に立とうとすることであり、それはどこまでいっても仮の尺度にほかならないからである。人間である限り、自分というもの、自分が属している集団というもの、自分が生きている生活文化というもの、国家というもの、それを捨てられるわけがないからである」(同、470−471ページ)。

 日本国家は国家賠償を支払うという措置によって、敗戦のツケはすでに払っている。戦争は犯罪ではないのだから、戦争中、個人に対してなされた行為を謝罪をするとか賠償することなど必要ない。

 その他にも批判の対象として取り出すべき多くの議論があるが、新国家主義イデオロギーの骨格をつかむという視点から、私としては以上のような言説に注目した。

 あらためてその特徴を整理すると、

 1、日本列島の歴史を、ユーラシア大陸の諸文明に対峙並存する独自の文明圏の形成発展の歴史とする。日本国家と国民は、縄文以来のその文明の連続性に支えられている。その文明の精神を表現するものとして天皇を現人神とする思想があり、それを根拠とする天皇制の統治システムがある。

 2、人間集団が自己の生存と利害を守るために他の集団に対して暴力をふるう戦争は、その本性に属している。人類の歴史は、国家と国家、民族と民族のエゴイズムの衝突を不可避としている。戦争は二つの正義が対立したとき決着をつける正当な手段である。文明間、国家間の対立は、力の均衡による並存をルールに反映させる以外、対処できない。戦争に正邪、善悪の道徳的判断を適用してはならない。

 3、近現代の西洋と東洋、欧米とアジアの対立の根本には人種間抗争がある。敗戦後の日本社会が受け入れた、欧米流の民主主義、人権、個人の自立と自由のイデオロギーは、欧米文明の押しつけであり、権力支配の欲望を覆い隠すためにふりかけられた甘い香りにすぎない。欧米の説く普遍主義はその背後に人種主義と自分たちの利害を中心にした計算を隠し持っていることを見抜かなければならない。それを人類普遍の倫理だと信奉するのは、敗戦によるショックで陥った精神上の敗北主義にほかならない。

 4、そういうまやかしの普遍主義にまどわされて、国家、国民の利益を主に考える自国中心主義を手放してはいけない。国家の軍事経済政治力を強化し、国際社会に日本国家の特殊利害を堂々と主張しなければならない。

 なお細分することも可能だが、今はこの4点にまとめておく。

 

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