Booklet 01 P.15

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歴史の連続性をより深く、より根本的に支えているのは、三十六億年前からの生命の持続である。悠久の昔からの生命の遺伝情報が、今生きている地球上の各個人に伝わり、私たちを生かし、私たちの自由を支えている。歴史観の基礎は、そうした生命の継続と発展への畏敬とその尊厳の認識に置くべきである。
人類がさまざまな壁を超えて連帯し、共生する未来を構想し、その理想に現実を近づけること、それがくり返し裏切られるとしても希望を失わないこと、人間はよりよい社会と人間のあり方を求めつづける存在であること、そうしたメッセージを歴史の中から探り出すことが、歴史学と歴史教育のつとめである。

 

 

 西尾幹二は、日本列島文明史を独自に価値づける事柄として文明と歴史が1万年前から途切れずに連続してきていることを強調している。しかし、歴史の連続性をより深く、より根本的に支えているのは、三十六億年前からの生命の持続である。悠久の昔からの遺伝情報を受け取り、環境との応答を通じて進化の連続につらなり、意思と行動の自由を得ている。歴史観の基礎は、そうした生命の継続と発展への畏敬とその尊厳の認識に置くべきである。その畏敬と認識によって、文明史は宇宙史と接点を得るし、個的であると同時に類的な生命の生産と再生産を営む諸個人に価値を置く生活者のコモンセンスと一致することになる。文明史を、風土、地域、人種、民族、国家などの特殊な要因をあげて、他から差別化して価値づける排他的、自己中心主義的なイデオロギーに与してはならない。

 人間論においては、人間を、自己の欲望充足を追求する自己中心性においてだけとらえるのは、一面的な、ゆがんだ認識である。たしかに人間は、他の生物同様、自己中心性なくしては生きてこられなかった。その事実認識は大事であるが、同時に、家族や社会を作って生きてきた経験から、その自己中心主義が行き過ぎると自己を滅ぼすことも学習してきている。人間が歩んできた歴史と文化を振り返って人間とはなにかを推論する哲学的認識に際しては、自己愛と他者愛の感情の両方を視野に入れる立論が可能であり、また事実に即している。

人類の全体がその規範に従うべき普遍的倫理の定立は可能かという問いは、今日の世界が切実にその答えを求めている問いである。たしかに一面から見れば、その規範の実効化は、これまでのところ挫折の繰り返しである。「人は人を殺してはいけない」という格率は、いつもどこかで戦争が起こり続けているという事実によって裏切られている。その現実を楯にとって、普遍的な倫理の可能性を説く立場をお人好しの楽観主義、有害な観念論と言い立てられないことはない。しかし、それでは歴史から希望を育む思想を引き出すことはできない。逆に、この著者のように、人間は自分ではどうにもならない自己中心性を生得としているのだから、それが悪を生み出す場合をも必然として受容し、その必然の永久不断の反復露呈に耐えよという、希望のない諦観論を引き出すことに他ならない。

 人類がさまざまな壁を超えて連帯し、共生する未来を構想し、その理想に現実を近づけること、それがくり返し裏切られるとしても希望を失わないこと、人間はよりよい社会と人間のあり方を求めつづける存在であること、そうしたメッセージを歴史の中から探り出すことが、歴史学と歴史教育のつとめではなかろうか。

 

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