高度経済成長期に入ると、日本社会では、企業が忠誠と統合のシンボルとして機能し、企業への帰属感情がナショナリスティックな帰属感情を準備する貯水池となった。つまり企業の繁栄と競争での勝利を第一に考えるイデオロギーの延長上に、それを守ってくれる強い国家への求めが結びつき、人々のナショナリズム感情を醸し出した。「企業戦士」という言葉が流行し、「国際競争」に勝ち抜く「経済戦争」イデオロギーが、従来の社会的な倫理規範を圧倒する影響を持つようになり、企業の海外進出や製品輸出が盛んになるにつれて語られるようになった「国際化」は、自国の政治的(軍事的)強力化への要求に還流する「国粋化」との正のフィードバック回路に入った。この時代に流行した「日本人」論は、自己と自己の所属する集団を快いものとして価値づけたいというナルシシズム要求に応えるもの、つまり「国内消費用」のナショナリズムであった。
同時にこの頃から、個人が、他人に対する顧慮抜きに自分の欲望と利害の充足を追求することをもてはやす傾向が生まれてきた。藤田省三が「安楽への全体主義」と名づけた生活様式の出現である。藤田は、1980年代現在の「現代社会」を、「戦前・戦後社会」から根底的な大変化を遂げた社会とし、その変化の大きさ・深さを、「第2次大戦の敗戦および直後の変化より大きいもの」と認識する。そして、現代社会においては、不快をもたらす物全てが無差別に一掃殲滅されることが期待され、「安楽」が他の全ての価値を支配する唯一の中心価値となるような精神の危機に落ち込んでいる、と指摘している(藤田省三著作集6『全体主義の時代経験』参照)。
高度経済成長期には、前期には列島改造・全国総合開発行政が、後期にはリゾート開発が、反対する住民の運動を力づくで押しつぶし、排除して進められた。それは、自己一身の欲望と利害の充足だけをめざす欲望エゴイズム、没倫理的な安楽志向によって支えられた土地の買い漁り、そしてその果てのバブル経済の崩壊となって終わった。それと前後してナショナリズムが、個々人の「安楽」を保障してくれる頼りがいのある国家への期待を代弁する言説として浮上してきた。官僚組織、企業組織、地域社会諸組織における男性中心主義体質、家父長制イデオロギーがその伸張を助けたという点も見逃してはならないだろう。
この時期にネオナショナリズムに対する抑止力の役割を演じた社会的勢力には、地域環境を破壊し、住民の健康と安全を脅かす大規模開発に反対する住民運動、女性差別、民族差別など各種の差別に反対する反差別市民運動、世界的な富の平等、人権の保障を追求して様々な活動を展開する非政府組織(NGO)、異なる文化や宗教や生活習慣を持つものの間の共生と相互尊重を追求する市民運動などがあった。それは、底流としては草の根の民主主義を育て、地域社会を市民としての諸個人中心に組み替える作用を果たした。しかし、中間層を形作る多数者は、政治的無関心への傾きを強め、大勢に順応する日和見主義、保守主義を居心地よい落ち付き場所とした。
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