Booklet 02 P.10

Page
10

「教育改革国民会議」を発足させ、教育基本法の改定を視野に入れた検討に着手した
報告書は、義務教育というのは「国民が一定の認識能力を身につけることが国家への義務であるということにほかならない」と明言する。

 

第3章 巧妙な国家統制を目論む
          「21世紀構想」
 

(1) 「衣の下から鎧」が見える報告書

1月、小渕首相の委嘱による「21世紀日本の構想」懇談会は、「日本のフロンティアは日本の中にある」と題する報告書を発表した。小渕前首相はこの報告を今後の政策の指針にすると言明、「教育改革」については、タカ派の論客・町村信孝氏を教育問題担当補佐官に任命、3月に首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」を発足させ、教育基本法の改定を視野に入れた検討に着手した。小渕退陣により、森首相となったが、同首相は4月14日の教育改革国民会議で「教育基本法の見直し」を言及しており、この流れは一層加速されるであろう。

 これらの動きは、「日の丸・君が代」の強制に勝るとも劣らない大問題であると考えるが、日教組等の労働界のみならず、教育関係者の間からも、未だ大きな議論が巻き起こっているようには見受けられず、私は大きな危惧の念を持っている。

私は、懇談会の座長が河合隼雄氏であることから、この報告書を手にするまでは、一定程度リベラルな内容ではないかと想像していた。A4版150ページ余に及ぶ大作のサブタイトルは「自立と協治で築く新世紀」であり、従来の「官治主義」や「集団主義」のシステムを改革しなければ、日本は世界の潮流に取り残されること、そのためには「個の確立」を進め、「多様性」を力とする社会システムを形成することが必要であると強調する。そして、中央政府、地方政府、企業、NPO等の新たな民間の力、家庭や個人等々、社会の多様な構成員が適切な役割を担い協同する、「協治」の社会を築くことを主張する。

 確かに、一見リベラルな言辞がちりばめられ、第1章から第4章までには首肯すべき見解も多々含まれており、単純な新保守主義的市場万能論や偏狭な国家主義とは一線を画しているように見受けられる。
 ところが、教育改革をテーマとした第5章「日本人の未来」では、俄然トーンが変わる。もちろん、ここでもいたずらに愛国主義やナショナリズムを煽ることは慎重に避けているが、より巧妙に、しかし断固として教育に対する国家意志を貫く姿勢が示されている。以下、簡単に報告の概要を見ることにしよう。

(2)「統治行為」と「サービス」に教育を峻別

まず、基本的な時代認識として、「自由市場の世界化は歴史の趨勢」であり、市場経済は最も合理的なシステムであるが、富の再配分や資源・環境保全、人間の知的情操的可能性の評価などの機能は持たないので、「国家を始めとする様々な社会諸機関、非市場な制度と人間関係の仕組み」が必要である、とする。そして、「法に基づく強制力」によって社会諸機関を安定的に調整する役割は「国家にのみ期待される」ので、教育のあるべき姿を考える際も「市場と国家という文明の二大要因の緊張関係を前提としなければ」ならず、「教育の国家的な運営と、市場的な運営の両面が併用されなければならない」という。

そこで、「第一に忘れてはならないのは、国家にとって教育とは一つの統治行為だということ」であり、国民の統合や社会の安定を図るために合理的思考力のある国民を育成することは国家の責務なのだとする。それ故、「教育は一面において警察や司法機関などに許された権能に近いものを備え、それを補完する機能を持つ」のであり、義務教育というのは「国民が一定の認識能力を身につけることが国家への義務であるということにほかならない」と明言する。

これだけならば、単なる国家主義の焼き直しであるが、「同時に教育は国民にとっては自己実現のための方途であり…個人の多様な生き方を追求するための方法でもある」と続け、この側面は国家が提供する「さまざまなサービスの一つ」であり、「国家は決して強制権を持つべきではない」とする。

このように「教育の二面性」を強調しつつ、「統治行為としての教育とサービスとしての教育の境界」を明らかにし、「必要最小限度の共通認識を目指す義務教育については、国家はこれを本来の統治行為として自覚し、厳正かつ強力に」行うこと、サービスとしての教育は主要な力を市場の役割にゆだねることを主張する。

 

前のページへ▲▼次のページへ

目次/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13/14/15/16/17

 

● 表紙に戻る
● 目次に戻る
● 読者カード(アンケート) この「ブックレット」に対するご感想をお聞かせください。
 ライブラリー TOP

 電子出版のご案内