Booklet 02 P.9

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「不登校対策」という発想自体を転換してほしい。
登校拒否を「問題行動」であると考え、克服や治療・矯正などの対象としてその子に関わることこそ「問題行動」
「登校拒否」は娘たちから親への素敵なプレゼントであった

 

まとめ:登校拒否は「問題行動」か

【「問題行動」へと追い込む周囲の無理解】

そもそも登校拒否は「問題行動」なのであろうか? 私自身が体験し見聞きした、限られた事例からの意見ではあるが、家庭・学校・地域などその子どもの周囲が、登校拒否を「問題行動」であると考え、克服や治療・矯正などの対象としてその子に関わることこそ「問題行動」だと思う。

 なぜならば、「克服」して学校に戻そうという行動は、子どもによって「拒否」された学校の現状や本質を問い直すことなく、「学校に行けない=社会に適応できない」弱さであると子どもを責めることに帰結する。また「治療・矯正」というのは、学校に行かないことをもっぱら子ども自身の問題とする考え方であり、子どもが提起している学校システムの問題点(教師にとっても子どもにとっても)を理解しようとしない姿勢につながっていく。

 そして、子どもはこのような理不尽な抑圧に対し、それを自分自身へと転化させれば「ひきこもり」や「自傷行為」などの、外に向かえば「家庭内暴力」や「校内暴力」などの、本物の「問題行動」へと転嫁させていく。大人たちのこういった「問題行動」が子どもたちを「問題行動」へと追いつめているのではないだろうか。

 しかし、問題行動などではなく、その子はともかく一休みしたい状態であり、場合によっては学校という場を通らずに成長することが、その子らしい生き方なのかもしれないくらいにおおらかに考えて、丸ごとその子を受け止めることから出発すれば問題行動には至らず、元気な生活を続けるケースが大半であるように見受けられる。

【プラス思考で不登校を受けとめる】

 また、不登校については、精神病理的(学校恐怖症など)あるいは家族病理的(母子分離不安など)アプローチの時代が長く続き、このことが不登校への偏見を助長し、本人・家族をどれだけ苦しめてきたか図りしれない。

 しかし、多くの不登校児やその家族は、様々な模索を続けながらそのような偏見を是正するための実践や活動に取り組んできた。もはやそのような見方では説明のつかない急増ぶりに、さすがの文部省も「不登校は誰にでも起こりうる」という見解を打ち出したが、基本的には未だ学校復帰が解決であり、そのための「対策」という発想の枠内にとどまっているように思われる。

 不登校13万人(実数はもっと多いと思われるが)時代を迎え、むしろこのことを、受験や過度の競争からくる歪んだ社会を変えていくためのエネルギーにしていくという、前向きの発想が求められれいるのでははないだろうか。

【「不登校」と「登校拒否」について】

 それと 、このレポートでは、「不登校」ではなく「登校拒否」という言葉を用いてきた。文部省は「不登校」という用語を用いるようであるが、これは「学校に行かない」という状態を示すもので、価値判断抜きのソフトな表現と言えよう。

 しかし、学校に行こうとしても身体が拒否して行けない、学校を拒否せざるを得ないところに追い込まれている子どもたちが膨大に登場していること、更に、まだ少数派かもしれないが「学校システム自体が自分には合わない、意味がない」として「登校しない選択」をする子どもたちも増えている現状を考えると、「登校拒否」(=登校はいやだ)という言葉の方が、子どもたちの叫びがリアルに伝わってくるように思われる。

 最後になるが、私は今、自分の生き方を問い直す契機を与えてくれたという意味で、そして、そのことを通じて多くの方々との素敵な出会いを与えてくれたという意味からも、「登校拒否」は娘たちから親への素敵なプレゼントであった、と考えている。

 

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