Booklet 02 P.3

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親は何としても学校に行ってもらいたいとの一心で、無理矢理車に乗せて連れて行ったり、学校もまた熱心に学校復帰の働きかけをした。
本音で学歴や進学へのこだわりをやめることで、彼女との信頼関係を取り戻すことができた

 

第2章 わが子の「登校拒否」から学んだこと

 〜日教組第49次教育研究全国集会
  「いじめ・不登校」分科会報告書より〜

 

わが家の娘たちの場合

1 長女を追いつめた学校へのこだわり

 現在25歳の長女が登校拒否を始めたのは、10数年前の中学2年の時であった。当時は登校拒否についての情報も理解も乏しく、親は何としても学校に行ってもらいたいとの一心で、無理矢理車に乗せて連れて行ったり、学校もまた熱心に学校復帰の働きかけをした。中学3年になり、このままでは高校へ行けないということで、留年してもう一年頑張ろうということにしたが、このことが長女をますます追いつめることになってしまい、外出できずに昼夜逆転の生活となり、気持ちも激しく落ち込むなど、心身ともにズタズタの状態にしてしまった。

 私たちも娘の状態を見かねて、取りあえず「学校に行かなくてもいいよ」とは言ったものの、子どもの感性は鋭いもので、本音のところでは学校に行ってほしいという親の気持ちを娘は見抜いてしまい、そんな親の気持ちに応えられない自分を責めるということで、彼女をますます追いつめてしまった。今でも当時を思い起こすと、長女には申し訳ない気持ちで一杯になる。

 結局、私たちは「高校進学しなくてもいいのだ」ということに思い至り、タテマエではなく本音で学歴や進学へのこだわりをやめることで、彼女との信頼関係を取り戻すことができたように思う。その後、紆余曲折を経ながらも、彼女はアルバイトなどをしながら通信制の道立有朋高校を卒業、社会人となり、良き伴侶を得て二児の母として元気に暮らしている。

2 「明るく元気な登校拒否」を歩む次女

 次女の場合は小学4年生から登校拒否となり、中学進学時に2ヶ月ほど通学したが、その後は全く行かないで、99年春、中学を無事卒業した。

 長女には誠に申し訳ないが、長女の教訓から、学校に行かないという生き方が次女の個性なのかもしれないと受け止め、次女に対しては一切登校の働きかけはせず、学校にもそのことをきちんと話をし、登校刺激をしないようにお願いして、理解してもらった。次女は次女なりに様々な葛藤や悩みはあったであろうが、親も本人も登校拒否をプラス思考で考えたことで、お陰様で元気に成長、現在は姉と同様に通信制高校に在学、函館ダンスアカデミーに所属して、大会やイベントなどであちこち飛び回っている。

 結果的にわが家の場合、通常の学校というルートを通らなくても、長女も次女も無事に成長し、現在は元気に生活している。むしろ、学校へのこだわりを捨てることで、より生き生きした生活を送ることができたように思う。

 

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