Booklet 02 P.7

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学校に行かないことも「ひとつの選択肢」としてあるのだ、という柔軟な発想を持ってほしい。

 

学校や教育行政に望むこと

 ささやかな体験ではあるが、以上のようなことを基に、私は今、学校や教育行政に対し、次のようなことを切に望んでいる。

1 「学校に行かない」選択肢の受容を

学校としての使命感や責任感はもちろん大切であるが、学校に行かないことも「ひとつの選択肢」としてあるのだ、という柔軟な発想を持ってほしいと思う。学校復帰がその子のためになる子もいれば、学校以外で生きることがその子のためになる子もいる。まずは、子どもが家庭で「安心して休める」環境づくりをサポートしていただき、進路や生活のあり方などについては、「指示」ではなく「情報提供」をお願いした。

※「いじめ」問題との関連での補足 

いじめに遭って自ら命を絶つ悲報が今も絶えず、その度に暗澹たる思いにかられる。きつい言い方になるが、「学校は命を削ってまで行くところではない」と思う。確かに、いじめは決して許されることではなく、いじめを防ぐ努力、いじめられた子どもたちのサポート、更にはいじめに走らざるをえなかった子どもたちへのケアは学校の責務であり、家庭をはじめ関係者がいじめに真正面から立ち向かう努力は大切なことである。

 しかしまず第一に大切なのは、いじめをうけている子どもを守ることである。そのためにも、もっと気軽に学校を休める環境づくり(子ども・保護者・学校などの意識改革、欠席扱いにしないといった仕組みなど)が必要ではなかろうか。いじめは明らかな人権侵害であり、人権侵害が行われているような場所に行くことを拒否する権利が子どもにはあるし、行かせないことは子どもを守る親の義務でもあると思う。

 いじめを受けて登校できなくなった場合は、「いじめを無くして登校できるようにすることが子どもの権利を守ることである」というのは正論かもしれないが、解決までは時間もかかるであろう。一般に、何か事故や危険があった場合、その原因が明らかにされ安全が確認されるまで、その施設や用具を使わない、あるいは現場に立ち入らないというのは、事故防止の鉄則である。同様に、「今後はいじめられない」ということを確信できない間は、堂々と学校を休む方が賢明であると思う。「君子、危うきに近寄らず」の格言も一理あるのではなかろうか。「学校を休んではいけない」という信仰が未だに強いために、結果的子どもを危険に晒すことになってしまうように思われてならない。

 

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