Booklet 02 P.14

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「基本的には学校に適応すること=学校復帰」が「解決」とされている。
「休む権利の保障」とは、「休むことがその子どもの利益にかなうが故に権利として保障しよう」ということ

 

第5章 一歩前へ〜
    学校や親に求められているもの
 


(1)全ての学校現場で「休む権利の保障」を

 しかし、このような基本的方向性の確認だけでは、教育を巡る日々の具体的問題に応えることにはならない。また、抜本的な制度改革へのプロセスにおいて、現行の制度の枠内で可能な改革や、日常の教育実践のなかで解決を図るべき課題も多数あると思われる。

 私は、次女が小学4年生から登校拒否して以来、幸か不幸か学校との具体的付き合いがなかったために、学校運営に係わる具体的提案をできる知識も経験もない。そこで、全国教研の分科会討論を手がかりに、幾つか問題提起をしてみたい。

まず第一に、少なくとも日教組組合員の皆さんには、全国教研の「いじめ・不登校」分科会に臨む日教組の基本的姿勢をきちんと受けとめ、共有していただきたいということである。日教組は第46次岩手教研において「学校を休む権利」を確認し、その後の論議と実践を通じて、今次分科会の要綱においては、「いじめ・自死・不登校・学級崩壊…子どもの学校、社会に対する命がけの異議申し立てを受けとめられないことに危機感を持ち、学校を変える当事者て何をはじめていけばいいのか」を討論しようと訴えている。

激増する登校拒否について、さすがに文部省も「不登校は誰にでも起こりうることであり、無理な登校刺激はしない」という認識に変わったが、依然として不登校はその個人・家庭の問題とされ、とりあえずの対処方針が示されたにとどまる。そして、不登校「対策」として「適応指導教室」などが設置されるというように、基本的には「学校に適応すること=学校復帰」が「解決」とされているように思われる。(それでも親の立場からすれば、無理な登校刺激をしないとされただけでも、どれだけ肩の荷が軽くなったことか!)

 これに対し、日教組の基本的スタンスは、上記のとおり一歩前に進んでおり、子どもたちの学校に対する異議申し立てと受けとめて「休む権利」を保障し、教育改革への契機としていこうというものである。しかし、このことが学校現場にどれだけ共有されているだろうか。

(2)「休む権利の保障」は学校の今を問い直す

 今回の分科会報告書の中にも、「無理な登校刺激はせず、本人や家族の意向を尊重し段階的に実施する」という「配慮」をしつつも、登校再会を「成功事例」というスタンスで報告するレポートがかなり見受けられた。

 討論においても、「登校刺激は良くない」とか「休む権利」ということは頭で理解しても、現実に登校拒否の子が出現すれば、「教師としての力や学級経営の未熟さからではないか」と悩んだり、「戻せないのは教師としての力不足という目で周りから見られる」「管理職から早く学校に戻すように指導される」などという発言が相次いだ。また、「子どもが人間関係を形成し成長する場としてやはり学校は大切」という趣旨の発言もあった。やはり、学校の側から「休んでもいいよ」と言うのは、まだ相当に勇気のいることのようである。

ただし、この勇気には幾つかの留保が必要である。分科会の議論においても、多くの教職員から「学校に来ても来なくても良いという考えが一人歩きをすれば、学校の責任放棄につながる」とか「休んでも良いとして、子どもの学習権の保障について学校としての責任を考えるべきではないか」といった発言がなされた。まさにその通りであり、「休みたければ勝手に休めばいい」というのでは、単なる無責任に過ぎない。

 「休む権利の保障」とは、「休むことがその子どもの利益にかなうが故に権利として保障しよう」ということであり、このことは裏返せば、「どうしたら子どもに来てもらえる学校になれるのか」ということが問われることなのだ、という受け止めが必要となる。そうでなければ、文部省の対処療法と同じレベルにとどまってしまい、教育改革への契機などになりようがないであろう。

 

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