1.海上の森の歴史(江戸から現代へ)
海上の森は、落葉広葉樹を主体とし、たくさんの貴重な動植物が生息します。海上の里とその周辺は、里山として古くから人々が住みついて農業を行ってきました。さらにその周辺の里山林は、尾張藩の御料林として、藩の重要な産業である瀬戸焼きの燃料の供給地として、広く松が植林されていました。それは、明治になって愛知県に県有林として引き継がれました。敗戦直後は燃料としての石炭が入手できなくなったため、県有林の松林を大量に切って窯の燃料として供給しました。その後、スギ・ヒノキの植林がなされましたが、それ以外の地域は、戦後の丸刈り状態から自然の力で徐々にコナラやアベマキなどの落葉広葉樹の森に再生して今日に至っています。
2.愛知県内でまとまって残されている里山、海上の森が豊かな理由
愛知県全体の里山を調べると、かつては広く里山が分布していましたが、高度経済成長期以後、里山は急激に消滅していきました。海上の森と猿投山一帯は、愛知県で残された唯一と言える連続した広い森林をもつ里山です。それが、生物の多様性を作り出した原因の一つと考えられます。
また、海上の森には貧栄養湿地が多く、そのことが生物の多様性を高めています。貧栄養湿地は厚い砂礫層が存在するためです。それが愛知県の他の里山地域では見られない海上の森の特徴となっています。
3.万博・新住計画と国営公園構想−キーワードは「里山」
海上の森は特徴のある貴重な場所であり、その里山環境を維持・保全することが緊急の課題であって、愛知県や万博協会が計画している万博・新住・道路事業では破壊することになります。そこでわたしたちは、その「対案」として海上の森の里山環境を保全する「国営瀬戸海上の森里山公園」の構想しました。愛知万博の理念は、「自然の叡智」、「自然との共生」、「持続可能な開発」ですが、かつてあった海上の森のような日本の里山は、人が自然を完全に支配するのではなく、まさに自然の叡智に学びつつ、自然と共生し、持続可能な完結した社会でした。それを里山公園として復活しようというのです。これこそ万博のテーマにふさわしいものです。
4.生きものにとっても人間にとっても気持ちの良い場所に
−里山公園をめざして
わたしたちの構想は、現状を基本的に変えることはありません。原則として園内は自動車を乗り入れません。変わるのは、銭屋鋼産跡地に管理施設や駐車場を作ること、いくつかの入口付近に小さなゲートを配置することなどです。大事なことは、できる限り田んぼを復活させることと、放置して暗くなった里山林に手を入れること、伐採した木材を利用するためのシステムを導入することです。また、里山に市民参加を可能にするために、いくつかの農家風の宿泊施設、民族文化資料館を民家の跡地に作ります。古窯を復元し、陶芸工房を作って歴史を活かします。子どもたちや高齢者・身障者が自然とのふれあいができるような公園を目指します。
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